プロローグ
八大地獄事件アナザー
ユーリシア=クリスタレッジの憂鬱







 気が付けば炎に取り囲まれていた。
 獣のように荒れ狂う赤黒い炎と、散乱する黒い何か。
 大気が揺らめく瓦礫の中心で、私は一人蹲っていた。
 逃げようなどとは思わない。そんな体力は残ってないし、周囲を取り囲む炎の壁は常人が突破できるものではないからだ。
「はは……。あはははは」
 一縷の希望すら見いだせない灼熱地獄で、それでも私は笑っていた。
「あはははははははは」
 何が可笑しかったのかはわからない。あらゆるものが滑稽に思えたのか、あるいは現実から目を背けたかったのか。
 多分両方だろう。私は自分の愚かさを笑い、そして目を背けたかったのだ。

 まるで地獄のような大火災。亡くなられた犠牲者の通報に嘘はなかった。
 現場に辿り着いた我ら暗黒シティ消防局第十三班を待ち受けていたのは、かつて見たこともない灼熱地獄であった。荒れ狂う炎の海と、炭化して次々崩れ落ちていく高層ビル。
 自分たちにできることなど何もない。その光景は救出作業のスペシャリストである我々にさえ、そう思わせるに充分であった。
 それでも自分たちを奮い立たせ、レスキュー用機動兵器に乗り込み、炎の中に飛び込んだのが十分前のこと。いくつもの偶然に助けられ、かろうじてシェルターで生き延びていた数名の要救助者を収容したが、奇跡が続いたのはそこまでであった。
 炎の地獄から脱出しようとした私たちを、背後から迫ってきた大蛇のような炎が飲み込んだ。
 その一瞬で全てが終わった。

 とにかく普通の炎ではなかったのだ。物質はもちろん、霊的、観念的なものでさえ焼き尽くす地獄の炎。それはレスキュー用機動兵器を一瞬で溶解させ、乗員たちを消し炭と化した。
 生き残ったのは私だけ。とっさに魔法で精製した氷のヴェールで身を包み、炎を凌いだのだ。
 周囲に散乱している黒いモノは、私の仲間と要救助者の亡骸にほかならない。
「あはははははは」
 だから私は笑っていた。自分だけが生き残ってしまったという滑稽さに。
 使命を分かち合った仲間達のはずだった。命に代えても助けようと決めた要救助者のはずだった。なのにそんな彼らが全滅して、何故私だけが生き残っているのか。
 簡単だ。炎の大蛇に飲み込まれたとき、私は自分が助かることを優先したのだ。仲間も要救助者も見殺しにして、自分だけを氷のヴェールで包み込んだのだ。
 とっさの判断だったから?どうせ全員を助けられるほどの氷を精製するのは間に合わなかったから?
 否。危機的状況でこそ人間の本性は暴かれる。私は我が身が可愛かったのだ。自分だけでも助かりたいと願ったのだ。仲間を大切だと思う気持ちも、誰かを助けたいという願いも、全て上っ面のものにすぎなくて、
「あはははははははははは」
 だから、そんな薄っぺらな自分が生き残ってしまったことが、どうしようもなくおかしく、そして悲しかった。

 そうこうしている間にも氷のヴェールは蒸発してく。いや、蒸発どころではない。氷そのものが燃えているのだ。当然だろう。この炎は、世の全てを憎む鬼達が吐き出した、万物を無に帰す獄炎なのだ。
 引火した氷を切り離し、新たな氷でヴェールで補う。そうやって炎を凌いできたものの限界は近かった。
 あと数十秒もすれば私のREIは底をつき、氷のヴェールを失った私は瞬く間に灰と化すのだろう。
 でも、それでいいのかもしれない。仮にこの先、生き残ったところでいったい何の意味があるというのか。仲間も誓いも裏切った私が、どの面下げて生きていくというのか。
「だったら、私もここでみんなと一緒に……」
 そうして肉体の前に魂が燃え尽きようとしていた時、

「いやー。熱いですね、お嬢さん」

 背後からそんな言葉をかけられた。