「え………?」 一瞬幻覚かと思った。 だってありえなかったからだ。振り返ったその先に立っていたのは、私よりもちょっと年上に見える金髪の青年だった。革製、半月状のケースを背負った彼は、防護服もなしに平然とそこに立っている。 「活きがいい炎だねえ。真冬だってのによく燃える。ホムロっち顔負けだよ」 そういって暑い暑いと手にした直径50pほどの盾を団扇代わりにしながら、大した苦も無さそうに彼は言う。 「しかし十二神器の一つカエサリアの盾ですら熱を遮断しきれないとはねえ。このままじゃ脱出経路を見つける前に熱中症で倒れるよ」 見れば彼の持つ青い盾からは、薄ら蒼い光が放たれていた。その柔らかな光が幕を張り、周囲の炎を弾いているように見える。 「あなたは………誰、ですか?」 恐る恐る問いかける私に、 「ん、俺を知らない?それなりに名が売れてきた方だと思ったんだけれどなあ。まだまだ売名が足りなかったか」 やれやれと彼。 しかし、そうはいわれても眼鏡を落としたのと、大気の揺らぎが尋常でないせいで、いまいち顔の細部が把握できないのだ。確かに声だけならば、どこかで聞いたことがあるような気もするけれど。 「しゃーないか。ま、通りすがりの紳士ってことでひとつ。さっきまで氷結地獄の鬼どもを退治していたんだけれどね。よもや連中をぶっ飛ばした反動で、別の地獄にすっ飛ばされるとは思わなかったよ。いつまで続くのかねえ、この地獄巡りは」 苦笑いしながらそう言う彼には、やはりまだ余裕のようなものが感じられる。ひょっとしたらこのような危機的状況に馴れているのかもしれない。 「ともかく一旦この状況から抜け出したい。いい加減隊長たちとも連絡を取りたいしね。しかしどうやらこの灼熱地獄は異界と化していて、暗黒シティから隔絶されつつあるようだ。さて、どうやって脱出したものか………」 首をひねりながら、背中のケースに手をやり、 「俺の弓を使うしかなさそうだが、そうなると少し問題がある。今の俺に残されたREIで二つ以上の神器を併用するのは厳しい。弓を使う間はカエサリアの結界を解除するしかないわけだが、そうなると俺が炎に焼かれてしまうわけで………」 そういうと、彼は私に向かって微笑み、 「というわけで君の力を借りたい。見たところ君、便利な魔法が仕えるようだね。その氷で俺のことも守ってくれないだろうか。そうしたら俺はこの灼熱地獄に退路を造りだし、君のことも助けてあげよう」 どうやら彼にはここから脱出できる算段があるらしい。そして私のことも助けてくれるという。 「どうかな?悪い話ではないと思うけど」 確かに、願ってもいない話ではある。今の私には単独でここから脱出する手段はない。初対面の彼を信用するわけではないのだが、それでも他に方法がない以上賭けてみる価値はあるだろう。 「でも………」 そう。でも、だ。 気がかりなことは他にあった。 「私だけ助かろうだなんて……」 やはり気になるのは仲間のこと。私の代わりに死んでいった消防局の仲間達。 一度彼らのことを見殺しにしておきながら、また彼らのことを見捨てるというのか?こんな赤黒い炎の地獄に、彼らの亡骸を残して。 「そこまでして私に助かる価値なんてない。だったら私はここでみんなと共に……」 罪と業を背負った私にこの先の未来を歩むだけの気力はない。だったらここで彼らと運命を共にし、それをもって贖罪とするべきではあるまいか? 「ふむ………?」 と、そんな私の泣き言を、金髪の彼は黙って聞いていたが、 「いや、君の事情は知らないけどね。せっかくこんな地獄で九死に一生を得たのに、なんで死に急ぐのか」 ポリポリと頬をかきながら彼。 「でも、生き残る意味があるかどうかなんて、これから次第だと思うけどねえ。君のこの先の生き方次第で、んなもんいくらでもかわるというか……」 と、再び周囲を見回しながら、 「それに、ここで君が死んでしまったら、彼らの意思はどうなってしまうのかな?君のために死んでいった、彼らの意思は」 「彼らって?」 一体何を言っているのだろう、彼は。誰が、誰のために死んでいったって? 「いや、だから君を守ってくれた彼らのことさ。それどころか今も君を守るために懸命に戦っている」 金髪の彼の視線の先にあるもの。それは消し炭と化した私の仲間達であった。 「俺には彼らが君に生き残ってほしいと願っているように見えるんだけれどねえ。だからこそ今も両手を広げて炎から君を守っている」 「あ………」 見れば確かに、灰と化した仲間たちは、みな両手を広げて立っていた。そうして私を炎から庇うように周囲を取り囲んでいる。 「ひょっとしたら、君が生き延びてこれたのは、氷の力によるものだけではないのかもしれないね。彼らが身を挺して君を守ってくれたのかも」 「あ、ああ……」 その時、私の脳裏にある光景が蘇った。それはあの炎の大蛇が私たちを飲み込んだ時の記憶。 あの瞬間、彼らは私に覆いかぶさるようにして、 「ユーリシアを守れ!」 「俺たちの後輩を炎になんかくれてやるんじゃねえ!」 そう、彼らは叫んでいた。 「あ、ああああ」 涙が零れ落ちる。そうだ、彼らは最後まで戦っていた。最後の一瞬まで。強大な炎に怯むことなく、誰かを救うために。 「君が君自身に価値を見出せなくても、彼らは君を助けることに価値を見出したらしい。君が生き伸びることには、自分が助かる以上に意味があるのだと」 そして新たに思い出す。彼等と共に働いた日々を。 私を後輩として迎え入れてくれた仲間達。彼らは口癖のように言っていた。自分たちは一心同体。故にこの仕事に命をかけることができるのだと。たとえ自分が死んでも必ずこの仕事を誰かが引き継いでくれるのだからと。 「あああああああああああ!」 止めどもなく涙が零れ落ちる。流れ落ちるたびに蒸発していってもそれが途絶えることはない。 「ま、推測だけれどね。人壁で炎を防げるかなんて知らないし。仮に事実だったところで、彼らが勝手にやったことさ。生き残った君がどうするかは君の自由。でもまあ、君のこの先の生き方次第で、彼らの犠牲の意味も変わってくるかな」 「………………」 それはつまり、私がこの先立派な人生を歩んでいけば、それだけ彼らの犠牲にも価値が出るということか。逆に私がここで死んでしまえば、それだけのものになってしまうと。 「だからそんなわけで……と、呑気にお喋りしている場合じゃなかった。もう時間もない。君のREIもあとわずかだ。やるならさっさと取り掛からないと間に合わないけど………」 どうする?と問いかける金髪の彼。 「……………」 そんなことを言われたってわからない。結局どうするのが正しいかなんて答えは出ない。 いったいなぜ彼らはそこまでして私を守ってくれたのか。それが要救助者でなく何故私だったのか。いくら悩んだところで答えは出ないが………、 「っ、く………」 それでも彼らの犠牲の意味まで持ち出されたら、何もせずここで死ねるわけがなかった。 「う、ぐぅっ」 涙を流しながらも膝に力を籠める。ふら付きながらも立ち上がる。 「うんうん、ようやく立ち直ったようだね。それでいいのさ。それでこそ彼らの犠牲も報われるだろう」 微笑みながら金髪の彼。拍手をしながら知ったようなことをぬかす。 彼らの死が報われるかなんて、そんなこと誰にもわかるものか。彼らが本当に私が生き残ることを望んでいたかだって、彼らが死んだ以上は不明のまま。 結局私は彼らを口実に生き延びようとしているだけなのかもしれない。そんな風に彼に踊らされているだけなのかもしれない。 そもそもなにか胡散臭いんだこの人は。一見笑顔で良心的なことを言っているようで、内心全く別のことを考えているように思える。何か、危うい。得体の知れなものを感じる。こんなにも周囲は燃え盛っているのに、彼を見ているだけで寒気がするのは気のせいではない。ひょっとしたらこれは悪魔との取引なのかもしれない。なにか取り返しのつかない事態を招くかもしれない。 それでも、 「氷の、ヴェールよ……」 今だけは迷いを振り切り、目の前のことに集中する。 生き残った消防局十三班の一員として。彼らの教えを受けた最後の消防局員として。残された全REIを氷のヴェールに注ぎこむ。 「今一度その加護を私達に!」 直後、一瞬で膨脹した氷のヴェールが、私と隣にいる彼を包み込んだ。 私自身かつてない規模で生み出した氷のヴェールは、余波だけで半径10メートルの炎を掻き消した。 「寒っ!しかしこれは予想以上。これだけ見事な氷があれば、しばらく盾がなくとも大丈夫そうだ」 そういって盾を地面に置き、背負っていたケースの蓋を開く。 「しかし改めて思うが精度の高い氷だねえ。これなら武器とかにも転用できるんじゃないかな。氷の剣とか槍とか………」 ぶつぶつ言いながら彼がケースから取り出したのは、緑と金で装飾された美しい弓であった。 一目で強力な魔道兵器だとわかる。弓そのものから強力なREIの波動を感じる。 「それではこの灼熱地獄からもおさらばといこうかね。これでもいいとこ育ちのぼんぼんでね。クーラーのない常夏じゃ30分と身が持たない」 続けてケースから取り出したのは一本の矢。それをを弓につがえ構える。右手で弦を引き絞る彼。洗練されたフォームは芸術家の生み出した彫刻のように美しい。 そうして彼は炎を睨みながら、 「偉大なる先人、大いなる意思よ。その力で俺達を導きたまえ」 見れば弦を引き絞るのと同時に、へらへらしていた彼の表情も引き締まっていく。 まるで弓を引くという行為が彼にとって神聖な儀式であるかのように。 「希望が焼き尽くされし炎獄に、救世の光を」 矢尻が淡い緑の光に包まれていく。その光はこの炎の海においてさえなお神々しい輝きを放っていた。 この時の私はまだ知らなかったが、これこそがかの名家オディセウスに伝わる12神器の一つ。のちに暗黒シティにこの人ありといわれた英雄ユニックス=F=オディセウスが、生涯で最も頼りとしたという救世の弓。 すなわち、 「天弓……」 限界まで引き絞られた弦。矢尻の輝きは臨界まで達し、 「ジャンダルク・ハート、救世天牙!」 |