―――で、十分後。
「はいっ! というわけで今年のバレンタインチョコだよ、剣太郎君」
「ありがとう、優輝ちゃん」
 校舎裏の中庭で、私は剣太郎くんにチョコレートを渡していた。
 気が付けばパラパラと雪が降っていた。
 日が沈み、薄暗い中庭の芝生を、白いヴェールが覆う。
 ホワイトバレンタインデーとでも言うのだろうか?  照明に照らされた白い中庭は、見る人が見ればロマンチックに感じるかもしれない。
「じゃあこれはお返しで」
「ありがとう、剣太郎くん」
 チョコレートと引き換えに、ビニールの包みを受け取る。
 開けて見ると、中にはクッキーが入っていた。
 人のいい剣太郎くんは、その場でお返しをくれる。
 それでホワイトデーにもお返しをくれるのだから、若干理不尽を強いている気もしなくはない。
「これは、また見事だね。ハート形のチョコレート……?」
 剣太郎くんもまたラッピングを解いて、中のチョコレートを確認する。
 そして、その表面に書かれたメッセージを見て、
「『これからもよろしく』……と」
「あはは。粗末なメッセージですみません」
 さんざん悩んだ挙句、結局書いたのは、無難極まるメッセージであった。
「………………」
 じっとチョコレートを見ている剣太郎くん。
 やっぱり、センスがいまいちだったか。ちょっと不安になったところで、
「……いや。ありがとう、優輝ちゃん。こちらこそよろしく」
 チョコレートを胸に抱き、彼は幸せそうに微笑んだ。

 それを見て私も笑顔になる。
 ああよかった、渡すことができて。
 この瞬間、彼のこんな顔が見たくて、私はチョコレートをつくっていたのだから。
 今、私の胸を満たしているのは純粋な幸福感。
 正直、さっきまで何に迷っていたのかすら、思い出せないほどだった。
 ようやく……、いつものバレンタインに戻れた気がする。
「というわけで、一息つきたいところだけど、その前に皆を助けなくちゃね。よかったら剣太郎くんも手を貸してくれるかな?」
 と、小包をバッグにしまい、調理室に向かおうとしたところで、
「優輝ちゃん」
 後ろから剣太郎くんに呼び止められた。
「何? 剣太郎くん」
「いや。もしかして……。何か困ったことでもあった?」
 剣太郎くんはとても心配そうな顔で私のことを見つめていた。
「困ったことって……。どうして?」
「いや、なんとなく、そんな風に見えたから。それに………、このチョコレートのメッセージ。なにか迷いのようなものが感じられて」
「迷い……?」
 それは、どういうことだろう。
「うまく言えないけど、優輝ちゃんにしては遠回しというか、微妙にらしくないというか? いや、もちろん不快とかじゃなくて。暖かい気持ちは伝わってくるんだけれど……。それと同じくらい、もどかしさが感じられるというか……?」
「…………もどかしさ」
 それはつまり、私の本心を伝えきれていないということだろうか。
 まあ、確かに、バレンタインチョコのメッセージに、「これからもよろしく」というのは、なにか奥歯に物が挟まった言い方に聞こえなくもない。
 これだったら素直に、大好きだーとか、愛してるーでよかったのではないか。
 その方がシンプルな私に相応しいだろうし。
 でもそうしなかった。できなかった。
 何故だろう。
 伝えたくても伝えきれない想い。それは……?
「いや……、つまりはそういうことか?」
 要するに、私は彼に“好きだ”と言えなくなっているのではないか?
 純粋に好意を伝えられなくなっているのではないか?
 それをしようとするたびに、ためらいを感じてしまう。
 しかし、それこそ何故なのか。
 今までに何百回と言ってきた好きだという言葉。
 それを、今になって言えなくなってしまったのはどういう理由だろう。
 もしかして、私は彼を嫌いになってしまったのか?
 いや、それだけはありえない。
 むしろ出会った時以上に、彼の存在は私の中で、大きくなっているのだから。
 では何故、躊躇う? 私はおかしくなってしまったのか?
「むむむ……?」
 何かの“境界線”にいるのはわかる。
 でもそこがどこなのかがわからない。
 それはおそらく私が、彼の面倒を見るのに精いっぱいで、ちゃんと自分の心と向き合ってこなかったから。
「だからね。困ったことがあったら相談してほしいんだ。優輝ちゃんに何かあったときは、ぼくが力になるから」
 そんな私に穏やかな声で剣太郎くんは言った。
「ぼくには大した力はないかもしれないけど……。それでも優輝ちゃんのことは、ぼくが守るから。君がぼくを守ってくれたように……。優輝ちゃんに何かがあったときは、ぼくが必ず力になるから」
「剣太郎くん……」
 それは穏やかで、しかしどこか凛々しさ感じさせる、彼の声だった。
 正直驚く。
 彼のこんな声を聴いたのは、初めてだったかもしれない。
 彼からこんなセリフを聞かされたのは、初めてだったかもしれない。
 いったいいつから彼は、こんな生意気なことを言うようになったのだろう。
 こんな……、ちょっとたくましい笑顔をするようになったのだろう。
「……いや、ちがうか」
 思えば突然ではないのだ。
 以前から、彼は早く一人前になりたいと願ってきた。
 そのために努力を積み重ねてきた。
 早く独り立ちできるようにと。誰かの役に立てるようにと。
 いろんな人に助けられてきた彼だからこそ、人一倍誰かのためになりたいという想いが強いのだ。
 そうして、彼は成長を積み重ねてきた。
 私はそれを見てきた。
 そうだ。私はそれを知っている。
 だって私は誰よりもそばで、君の成長を見守ってきたのだから。