民家の屋根の上を突風が吹き抜ける。
 途中、瓦や洗濯物を吹き飛ばす黒き暴風。
 その正体は、高速で屋根から屋根へと飛び移る二人の若者であった。
 片や三日月状の魔剣を振るう黒髪の男。片や二丁銃を手にした金髪の男。
 二人は時に交錯し、激突しながら、港町の屋根を飛び回る。
「闇夜の剣、冥咬4殺!」
 黒髪の青年のふるう刃が金髪の青年に迫る。
 縦二連、横二連。
 上下左右を塞いだ斬撃は、何人たりとも避けるられるものではないのだが、
「よっ」
 金髪の彼の自動拳銃が火を噴く。放たれた銃弾はそれぞれ四つの斬撃に直撃し、その軌道を曲げた。
 そうしてできた斬撃の隙間を潜り抜け、次の屋根へと飛び移る金髪の彼。
「くっ」
 歯ぎしりしながら後を追う黒髪の青年。
 しかし、そんな彼に振り向きながら、
「無茶するなあ。魂をずらしてのモードチェンジとか。あまり感心しないぞ。そういう魂に負荷をかけるやり方は」
 呆れたように金髪の彼。
「魂のエラーは肉体にまで伝播する。そんなこと続けているといつか肉体が変貌して“ナゾ”のお化けになっちゃうぞ?」
「わけのわからんことを………!」
 熾烈な二人の戦いは、争いの場を教会前広場から南地区の住宅街へと移していた。住人達も何事かと地上からその争いを見上げる。
 そんな人々を掻き分けながら、
「しかし何も屋根の上で戦わなくても……」
 そういって地上から彼らを追うのは、自分ことグレイナインであった。
「よっ、とっ」
 時折舞い降りてくる洗濯物を、回収しながら後を追う。
「もう、あまり皆さんに迷惑をかけてはだめですよー!」
 呼びかけたところで応えてくれる彼等ではないか。
 まあ、迷惑をかけないためにあんなところで戦っているのかもしれないけれど。それでも時折降り注いでくる屋根瓦(マジ危ない)を見る限り、その配慮が生かされているとは言い難かった。

 さておき―――、戦いは一見先生が優勢に見えた。
 なにせ先ほどから攻撃を仕掛けているのは先生ばかりで、お兄さんはそれを躱す一方なのだから。
 しかし、これまでの戦いを見ていた自分にはわかる。
 この戦いは先生が優勢に見えて、実際はその逆なのだと。
 追い詰めているように見えて、追い詰められているのは先生の方なのだと。
「どうした?そんな小手先の攻撃ばかりで、俺を倒せるとでも思っているのか?」
「くっ」
 実際、余裕の表情を浮かべているお兄さんに対し、先生の顔には焦りが見える。
「もうちょいビシッとした攻撃はできないのかね。なんか腰が引けてないか、お前」
 お兄さんの指摘通り、先生の攻撃には思い切りが欠けているように思えた。出す技も小技ばかりならば、距離も一定を保ったまま。
 あそこまで憎悪しているお兄さん対し、先生が手をこまねいているように見えるのはなぜなのか。
「理由はおそらく………、お兄さんの戦闘スタイル」
 あくまで自分なりの分析だが、きっとお兄さんはカウンター型の戦士なのだ。
 相手に先に攻撃を出させて、そこに反撃を与えるのが彼本来の戦い方。
 故に相手の隙が大きければ大きいほど、その一撃は威力を増す。雑な攻撃や大ぶりの一撃は彼にとっていいカモ。
 その恐ろしさを誰よりも知っているからこそ、先生は思い切った攻撃ができないのだろう。
「………ふーん?」
 ちらりとこちらを見るお兄さん。
「なかなかやるじゃないか。どうやら彼女はここまでの戦いだけで俺の特性を見抜いたらしい」
 満足げに頷くお兄さん。
「見事だね。肉体面では劣化が目立つが、他のスキルでそれを補っているらしい。いや、一概にどちらがいいとは言えないわけだな」
 そういって、なにやらよくわからない理由で感心する一方で、
「それに引き替えお前は情けないなー、黒鳳。この期に及んで半端な攻撃しか繰り出せないとは。いったいお前は何しにこの大陸に来たんだ?俺にコケにされるためだけに、のこのこやってきたのか?」
 心底がっかりしたかのような表情で先生を見るお兄さん。
「なん、ですって………?」
「お前もここに来た以上、それなりに覚悟を決めてきたものと思っていたがな。まさか、いまだに内心ブルっていたとは。こりゃ期待外れだったかな?今のお前じゃとても俺が抱えている仕事を任せられそうにない」
 やれやれと、溜息をつくお兄さん。
 それに対し、
「何をいってるんだ、あんたは。覚悟だの仕事だの………。胡散臭いと思っていたが、やっぱり目的があって俺を呼び出したのか?」
 と、訝しむように先生。
 しかし、
「それを聞いてどうする?未だこの大陸関わることにビビっているお前が。つーか“彼女”が死んだ大陸に足を踏み入れておきながら、未だそれと向き合うこともできないお前に対し、何かを教えたところで意味なんかあるのか?」
 せせら笑うようにお兄さん。
「………………」
 と、そのセリフを聞いて、先生の顔色が変わった。
「おい。あまり気安く彼女のことを口にするなよ。俺の前で」
 一オクターブ声を下げて先生。
 ざわりと揺れる周囲の木々。空気が一段と張り詰める。
 しかし、
「当然、お前も知っていたはずだよな?この大陸で起きている戦争を。そのきっかけとなった事件で、誰が死んだのかを。だからこそお前はこの大陸とつかず離れずの距離を、ぐるぐる回っていたんだもんな」
 と、お兄さんの調子は変わらなかった。
「ふむ?」
 しかしなるほど。言われてみればその通りで、ここしばらくの自分たちの冒険は、この大陸の周囲の島々を回ることが多かった。
 まるでその気になれば、いつでもこの大陸に来れるようにと………。
「それでいながら大陸に戻ってきて、、いつまでも“それ”から目をそらし続けることができる思ったのか?何もしないままお宝だけもらって、ずらかることができると思っていたのか?」
 見下すようにお兄さん。
「馬鹿馬鹿しい。できるわけないだろう。“彼女”はお前にとって数少ないダチだったんじゃなかったのか?のけもの同士何かあったら力になると、約束したんじゃなかったのか?」
「だからやめろって………」
 唸るように、どこか懇願するように先生。
 しかし、お兄さんは容赦なく、
「そんな彼女が殺されて、それが原因で戦争が起きて、それでも無関係でいられると思ったのか?何かするべきだと、後始末だけでもしてやりたいと、そういう気持ちがあるんじゃないのか?お前がビビっているのは俺じゃない。下手に首を突っ込んで、お前自身その気になってしまうことこそが―――」
「だから黙れっつってんだよ!」
 轟雷一閃。
 横一直線に振るわれた黒鋼の刃。一秒遅れて吹き荒れる闇色の突風。
「………っ」
 その太刀の速さは先ほどまでの比ではなかった。
 その証拠に紙一重で躱したはずのお兄さんの頬には一筋の赤い傷跡が………。
「ほう………?」
「ごちゃごちゃうるさいんですよ、あんたは。さっきからわけのわからんことばかり言って……」
 暗い瞳で、肩で息を切らしながら先生。
「知ったことじゃないっつーんですよ。この大陸で何が起きようが……。どこで誰がくたばろうが」
 苛立ちとやりきれなさが入りと交じった表情で先生
 そんな先生の顔には覚えがあった。マスタが無理をして、そのことで不機嫌な時の先生とそっくりだった。
「そもそも俺は………」
 そういって振り上げた剣を、
「とっくにこの大陸とは縁を切ってんだから!」
 一直線に振り下ろしながら先生。
「――――――!」
 そこから放たれたのは、七筋の黒き風を伴う斬撃であった。
 REIを含む黒き風は、魔剣と同等の切断力を誇る。
「ひゅう♪」
 扇状に迫る七連の斬撃を、しかしお兄さんは器用にくぐり抜けた。
「つーか、あんたにだけは言われたくないって話ですよ!そもそも誰のせいでこんなことになったと思っている!一体誰のせいで彼女は命を落としたと思って………!」
 怒りに任せ振るわれる刃。その余波だけで周囲の煙突がすっ飛ぶ。
「さて、誰のせいだっけな?」
「とぼけるな!忘れたとは言わせないぞ。あの日あんたと別れた日のことを!俺はあの日あんたに、確かに依頼したはずだよな!」
 と、首を傾げるお兄さんに対し、刃の雨を降らせながら先生。
「しかし依頼って、なんだろう………?」
 これだけ仲の悪いお兄さんに対して、先生は何かお願いでもしたというのか?それはいったい、どのような依頼だったのか。
 剣を振りかぶる先生。答えは、先生自身の口から告げられた。

「彼女のことを守ってやってくれと、あんたには頼んだはずだよな!」

 怒鳴り声と共に振り下ろされる黒鋼の刃。
 それを紙一重で回避した後、お兄さんは数秒沈黙し、
「ああ、そうだったな。聖王女を守ってほしいと………。何か嫌な予感がするから気にかけてやってくれと、お前には確かに依頼されたな」
 と、懐かしむように呟いた。
 そんな彼の態度が気に入らなかったのか、
「にもかかわらず、あんたは何をしていた!?散々人から金を巻き上げておきながら、からかっておきながら、彼女が死んだとき一体どこで何をしていた!?」
 追い打ちをかける先生。
「いや、それに関しては詫びるしかねーな。ちょっと敵に厄介な奴がいてな。俺も裏をかかれちまったわけよ」
 と、肩をすくめてお兄さん。
「だからそのあたりの失態を取り戻そうってわけだ。彼女が成仏できるよう、兄弟仲良く力を合わせてだな―――」
「ぬけぬけと何をぬかすか、あんたは――――――!」
 憤怒の一撃が、お兄さんの立っていた屋根を丸ごと吹き飛ばす。

 というわけで、どうやらそういうことだったらしい。
 これが先生がこの大陸に来るのを拒んでいた理由。そしておそらくは先生が苛立っていた本当の原因か。
 彼らの言う“彼女”が誰なのかは定かではないが、その人こそが先生がこの大陸に残したきた“未練”なのだろう。
 そしておそらくそれは先生の知らないところで終わってしまった。
 だからこそ先生はこの大陸に来るのを嫌がっていたわけだ。来たところで自分の無力さを思い知らされるだけだから。

「この無能!役立たずのくそったれ!てめえなんかスイカの角に頭をぶつけて死んじまえ!」
 と、なおも罵倒を浴びせながら、剣を振り回す先生。
 もはやキャラ崩壊もいいとこではあるが、最近ではこっちの方が素なんじゃないかと思わないでもない自分。
「まあ、それはさておき……」
 それにしても今日の先生の戦闘能力は凄まじかった。
「もしかしてあのモードの強さって先生の負の感情に左右されるのかな?」
 思い当たるところがないでもない。
 しかし仮にそうだとするのなら、今日の先生はこれまでの先生の中でも、最強の先生なのではあるまいか。
 なんか今の先生ならば、かの街の英達雄とも互角以上に戦えちゃいそうだし。
 おそらく自責の念とお兄さんへの怒りが、先生の戦闘能力を極限まで高めているのだろう。
 だとしたらこれだけ強い先生を見れるのは、これが最初で最後かもしれない。
「マスタが見たら泣いて喜びそうだなあ。いやそれにしたって、それでもまだお兄さんに通用してないっていうのが、凄いんだけれど……」
 そうなのであった。確かに今の先生は最強であったが、お兄さんはそれに輪をかけて強いのであった。
 暴風もかくやの先生の攻撃を、時に銃で弾きながら、煙突を盾にしながら、軽やかに凌いでいく。
「底なしですかね。あの方の強さは。なんか先生が強くなればなるほど、彼も強くなっている気が……」
 身のこなしがすごいのか、動体視力がすごいのか。特別な能力や魔法に頼らず攻撃を凌いでいるのもまたすごい。
「やっぱり怪物の兄は怪物なんですかねえ」
 と、自分自身謎の感動を覚えていたところで、
「凄い。狂ノ助様……。ここまで強かったなんて」
 と、横からも感動の呟きが聞こえた。
「………………?」
 振り向くといつの間にやら自分の左側を一人の少女が並走していた。
 白いメッシュの入った桜色の髪の少女。
「狂ノ助様は最近は本調子じゃないといっていたけれど………、まさかそれが本当のことだったなんて」
 年齢は自分と同じくらいだろうか。恍惚の眼差しで戦いを見つめる小柄な少女。
「あなたは……?」
 気になって声をかける。
「あ、すみません。私は剣皇騎士団無双派の騎士。輝目良=宮=紅麗と申します。あ、実際には騎士とは名ばかりで、狂ノ助様の小姓のようなものですが……」
 ご丁寧にも自己紹介をしてくれる桜色の髪の少女。
「あ、どうも。自分は先生の付き人のグレイナインと申します」
 自分も自己紹介を返す。
 どうやら彼女もまた先生たちの後を追っているらしい。狂ノ助、というのはお兄さんの名前だったはずだ。ならばその小姓ということは、先生にとっての自分のような存在か?
「もしかして彼らの戦いを止めに来たのですか?」
 走りながら質問をする。ちょうど速さも歩幅も同じで話しやすい。
「いえ。狂ノ助様からは何があっても手を出すなと厳命されているので、自分もあなたと同じく見物です」
 自分同様目を輝かせながら輝目羅さん。まあ若干申し訳なさそうに見えるのは自分よりも生真面目だからか。
「…………?」
 しかしそんな彼女の横顔を見ていて、ちょっとした違和感を覚えた。
「あの〜。どこかでお会いしましたっけ………?」
 思わず尋ねてしまう。
 そう。彼女には、見覚えがある気がした。いや、見ただけではない。どこかで会った覚えが………
「え?そんなことはないと思いますけど………。でも不思議ですね。私もあなたと初めて会った気がしません」
 どうやら彼女も同じらしい。
 しかし一体いつ知り合ったんだっけか。確かに知っているはずなのだが。
 いや、知っているどころの話ではない。身近なところで毎日顔を合わせているような気すらして……。
「おかしいですよね。初対面なのに全然そんな気がしなくて……」
 二人そろって首を傾げる。
 あまりにタイミングが一致しすぎていた。というか瞬きや呼吸のタイミングまで一緒な気がするのは気のせいか。
 ある意味先生たちの戦い以上に興味深い少女との出会い。しかし残念ながらこの場に、その真相に辿り着けるだけの答えはなかった。
 そして―――、
「闇夜の剣、黒星七連!」
 目の前の状況もまた、そんな悠長なことを考えている時間を与えてはくれなかった。
「よっ」
 ひときわ大きな斬撃を躱しながら次の屋根へと着地するお兄さん。
「ここは………」
 その建物を見て気づく。お兄さんが飛び降りたのは最初先生と再会した教会の屋根であった。
「ちっ」
 先生もまた教会前の広場に着地する。
 どうやら街を一周して、広場に戻ってきたらしい。
 10メートルほどの距離を隔てて向かい合う二人の兄弟。

「いや大分ましになったじゃないか。最初は失望したけどな。なんだかんだでいい運動になったわ」
 と、背筋を伸ばしながら上機嫌そうにお兄さん。
「ふざけたことを。まさかトレーニングのために俺を呼び出したわけじゃないでしょうね」
 と、相変わらず殺意を込めた眼差しで先生。
「んー。それも目的の一つだがな。この先大きな戦いが控えていてな。その前に勘を取り戻しておきたかったのよ」
 と、リボルバーに弾丸を再装填しながらお兄さん。その中の一発が、ほのかな光に包まれていたように見えたのは気のせいか。
「どうにも最近腕がなまっていてな。でもお前とやりあってようやく調子が戻ったわ」
 どうやら戦いの中でお兄さんが強くなっていくように感じたのは気のせいではなかったらしい。さながらお兄さんにとって最適のトレーニング相手が先生ということか。
「ま、お前に用があるというのも本当だけれどな。どうだ、そろそろ俺からの“依頼”にも興味が沸いてきたか?」
 尋ねるお兄さんに対し、
「まさか。どんな要件かは知りませんが、あなたの都合に俺が従うわけがないでしょ。もらうものだけもらって、さっさと大陸をでます」
 ばっさりと先生。
 そんな先生に苦笑しながら、
「頑固者め。これじゃあ埒が明かないな……。しかたない。話しを進めるためにも、ひとまず決着を付けるとするか」
 くるくると銃を回しながらお兄さん。

 ピシッと割れる民家のガラス窓。
 広場の空気が、臨界まで張りつめる。