ところ変わって港町の北にある、とある王宮にて。

 薄暗い廊下を少女は早足で歩いていた。
 カツカツカツと、赤いブーツと大理石の床が小気味よい足音を奏でる。
 滑らかな金髪と真紅の瞳を持つ彼女の容姿は、神話に登場する妖精のように美しかった。
 しかし誰が知ろうか。彼女こそがこの大陸において当代最高の騎士と讃えられし少女であることを。若くして多大な戦果を挙げ、大陸にこの騎士ありと謳われし英雄であることを。
「はあ………」
 しかしそんな麗しき英雄の横顔も、この日ばかりは不機嫌さで曇って見えた。時折横目で窓から空を眺めては溜息をつく。

 しばらくして少女は廊下の最奥にある鉄製の扉の前に辿り着いた。そうして扉のノブに手をかけ,
「皇爵?いらっしゃいますか」
 と、静かに扉を開く。
 中は薄暗いコンクリート造りの部屋だった。これといった装飾もなければ調度品もない。
 あるものといえばいくつかの照明器具と、床に転がっているダンベルなどのトレーニング器具くらいか。
「皇爵………?」
 そんな殺伐とした灰色の部屋の中心で
「203………204………」
 と、一人腕立てをする少年がいた。
 青いジャージを着た水色の髪の少年は、少女が部屋に入ってきたことにも気づかず黙々とトレーニングを続ける。
「………………」
 少女はしばらく穏やかな眼差しで少年を見守っていたが、やがて思い出したかのように歩み寄る。
「皇爵。よろしいですか?」
「あ、翼さん?」
 と、耳元で呼びかけられてようやく気づいたのか、少女に振り向きながら水色髪の少年。
 地べたに座りこみ、手ぬぐいで汗を拭く彼を見て少女はまたしても溜息をつく。
「皇爵、またトレーニングをなさっていたのですか。今日は午後からミーティングがあるから、部屋で待機していてほしいとお願いしてあったはずですが」
 咎めるように眉を顰める少女。
 時刻は午前11時過ぎ。本来ならばもう少ししてから彼の私室に迎えに行くはずだった。
「すみません。ちょっとでも時間があるなら、やれることをやっておこうと思いまして」
 そんな少女を見て申し訳なさそうに頭を下げる少年。
 こういう時、下手に言い訳をすると説教が長引いてしまうことは、これまでの経験からわかっていた。
 故にさっさと非を認め、彼女の気が済むまで謝りつづけるつもりだったのだが……、
「皇爵。あなたのスケジュール管理は私がしているのですから、勝手なことをなされては困ります」
 と、この日の彼女はどういうわけか、初っ端から不機嫌だった。
「そもそも休む時は休んでおかないと、肝心な時疲れていては意味がないわけで………」
 そして早くも長引きそうな様相を見せる少女の説教。
「えーと………」
 これはまずいと思ったのか、少年は作戦を変更し、
「それで、どうなさったのでしょう。なにか用があってぼくを探していたのでは?」
 と、話題を切り替えようとする。
「む……」
 露骨な切り替えに、少女は一瞬顔を顰めたが、
「………皇爵、海風と呼ばれる港町をご存知でしょうか?」
 話があったのは本当だったのか、本題へと移る。
「海風………?えーと、剣皇の南にある小さな港町でしたっけ?」
 唐突にあげられた地名であったが、少年には覚えがあった。
 この辺りは学園時代の勉学の賜物。頭の隅にあった大陸地図を引っ張り出す。
「十三名家に属していない特別自治区でしたっけ?なんかすごい味のソフトクリームをウリにしていたような……」
 一度だけ食べた限定流通品の味を思い出し、身震いする少年。
「はい。実はその特別自治区から、救援要請がありまして。今すぐ騎士団をよこしてほしいとのことです」
「救援要請って、ぼくたちにですか?」
 少年が疑問に思うのも当然だろう。なぜなら現在彼が当主を務める剣皇家は、大陸では逆賊扱いされているからだ。その自分たちに来た救援要請など、何かの罠ではないかと怪しんでしまうのも当然といえる。
「いえ、それほど警戒する必要はないかと思います」
 しかし、少年の考えを察したのか、首を横に振りながら少女。
「自治区といってもあそこは長年、剣皇の管理下にありましたから、このような時でも剣皇に救援要請が来るのは不思議ではないかと。………まあ、何らかの罠である可能性も否定はできないのですが……」
 そう最後に付け足しつつも、少女は罠の可能性は低いと考えているようであった。
 何やら奥歯に絹を着せたような物言いに首を傾げる少年。
「しかし騎士団を要請って何があったのでしょう」
「何者かが暴れているから取り押さえてほしいとのことです」
「何者かって?もしかして他の十三名家に襲われたとか?」
「いえ。あそこは他名家が剣皇に侵攻するうえで、中間地点にはなりません。大した資源もないので、侵略する価値もありませんし……」
 そう言って三度溜息をつく金髪の少女。ますます首を傾げる水色髪の少年。
「では、一体誰が暴れているのでしょう?」
「それが若い男の二人組だそうです。一人は二丁拳銃を使う金髪黒コートの青年だとか………」
「………………」
 格子状の窓から生暖かい風が吹き抜ける。二人の間に数秒の沈黙が訪れた。
「…………。それで、もう一人の方は?」
「そちらについては不明のようです。ただ転送さてきた写真を見る限り、黒マントを纏う黒髪の男ですね」
 懐から取り出した書類の束をめくりながらの金髪の少女。
「黒髪って……、もしかして真吾さんですか?」
「その可能性はないかと。黒髪の男が使っている得物は巨大な魔剣ですし、何より大地の騎士でしたらここに来る途中、廊下ですれ違いましたから」
「ほっ」
 どうやら最悪の事態は避けられたらしいと胸を撫で下ろす少年。しかしそれでも厄介な事態にはかわりないと、再び頭を抱える。
「何をしているんですかね、彼は。この忙しいときに……」
 気が付けば先ほどまでの少女と同様、疲れた表情で溜息をつく水色髪の少年。ただでさえ目まぐるしかった最近の状況に、新たな問題が加わったのだから当然と言えよう。
 しかし―――、
「それでは私が止めてきましょうか?」
 と、少女は一転、そんな少年を見て声を弾ませる。
「なんでしたらこの機に始末してしまっても………」
 見ればいつの間にやら彼女の手には大鎌が握られていた。少年の承諾さえ得られれば、すぐにでも飛び出していきそうなご機嫌っぷりである。
「いやいや、困りますから!この大変な時に」
 と、やる気満々な彼女を見て慌てて止めに入る少年。
「お二人は剣皇の最高戦力なんですから。どちらかにでも何かが起こったら剣皇騎士団は壊滅です!」
 それは大袈裟にしても、二人がぶつかれば今以上の騒ぎになることは確実だろう。ただでさえ厄介な状況がこれ以上拗れるのは避けたい。
「では……、どうなさると?」
 せっかくのやる気に水を差され、拗ねたように少女。いつもより幼く見える彼女は可愛らしくもあったが、残念ながら今はそれどころではない。
「いえ、ですから狂ノ助さんにも考えがあるでしょうし、しばらくは様子見でいいかなと」
 内心どうかなあと思いつつも、少女を宥めるべく言葉を選びながら少年。
「それにもう少しでミーティングですし、それまでにはなんらか連絡をよこすんじゃないかなと。もし………、それがないようでしたら、その時は翼さんが迎えに行ってください」
 結局ただの時間稼ぎでしかなかった。それでもこれで何とか彼女の面子は立たないかと少女の顔色をうかがう少年。
「………………………」
 そんな少年の内心を見透かしてか、少女はしばらく冷めた目で彼を見つめていたが、
「了解しました。そうします」
 やがてそう言って、少年に背を向けた。
「くれぐれも穏便にお願いしますよ?」
 そんな彼の言葉が聞こえているのかいないのか、無言で部屋を出ていく少女。
 十数秒後、廊下の角を曲がって彼女の姿が見えなくなったところで、ようやく少年はため息をつく。
「やれやれ。本当何をしているんですかね。狂乃助さんは……」
 格子つきの窓から空を見上げ、ここにいない彼に向かって愚痴を吐く。
 少年が彼と出会って早数か月。一定の信頼がないわけでもないが、いまだに彼が何を考えているのかは理解し難かった。
「本当頼みますよ。これ以上揉め事を起こさないでくださいね」
 祈るような眼差しで、流れゆく雲を見送る少年。


 しかし、少年の願いも空しく、彼らの戦いは激化する一方であった!