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「まずは、あなたのその機械から片づけていきましょうか」
「…………え?」
横でへたりこむドクターの顔を見て言う。
「あんたはこの試練が始まる前からずっと、そのポンコツもとい、無線機をいじくっていましたよね。しかし悲しいかな、無線機が完成するよりも先に天使が現れてしまった」
そう。天使が降臨したのがおよそ三時。その時点でまだドクは無線機を完成させていなかった。
「しかし、天使が出現してからというものの、あんたの作業能率は急に悪くなった。……なぜなら、そのころからあんたは“ドライバーでネジを締めつける”なんていう単純な作業をしくじり始めたからだ」
右回転するドライバー。こぼれおちるネジ。
「こんな初めて工具を手にした子供でもできる単純作業をしくじるあんたを見た時、正直俺はこの人はもうだめなんじゃないかと思った。……が、不思議なことにビルの調査から俺が屋上へ帰った時、すでにあんたは無線機を完成させていた」
満面の笑みを浮かべ俺を迎えたドク。
「ドライバーでネジを締めつけることもできないあんたが、なぜ無線機を完成させることができたのか。それを訪ねた時、あんたはこう答えた」
『いやー全く簡単なことだったのです。単にね、反対回しにすればよかったのですよ』
「反対回し……。それが何を意味するのか、その時の俺は深く考えなかった……が」
改めて問う。
「なあ、ドクター。あれは一体何だったんだ?“反対回し”ってどういう意味だ」
「ああ、それは、ですね」
震えながらもポンコツを抱えるドクター。
そしてこれが何度目か、両手に構えるドライバーとネジ。
「ドライバーってね、普通閉める時は時計回し。逆に緩める時は反時計回しに回すものじゃないですか。しかしどういうわけかこの機械のネジ穴はそれが上手くいかなくて……」
散々床に転げ落ちていたネジを思い出す。
「ですから」
と、ネジ穴にネジを差し込み、ドライバーを突き立てるドクター。しかしどういうわけか、彼はそれを時計回りに回すのではなくではなく、反時計回りに回し始めた。
ネジは次第にネジ穴へと沈んでいく。
「このように、ですね、ふだんとは逆に反時計回しに締め付けてみたのですよ。そうしたらこの通り」
すっぽりとはまったネジ。綺麗にネジ穴へと納まっている。
「見事にはまりました。まさに押してダメなら引いてみよ、でしょうか!」
全然ちげーよ、馬鹿。
……つまりは、そういうことだ。
これが今回の試練の鍵。普段ならあり得るはずのないドライバーの逆回転現象。
右回転でしかはまらないはずのネジが、何故か左回転ではまる。
喜々として語るドクター。このおめでたさは羨ましい。
んなことあるわけねえだろ。
天地が避けようが、まぐれが起きようが、さっきまで右回転で締め付けていたネジが、突然逆回転で締めつけられるようになるなんて、物理的にあり得ない。
しかし……、それが起きえてしまうのが今回の試練。
即ち、“逆回転”。
それがこの試練の最初のキーワード。
そして確か俺がこの試練で“逆回転”を目にしたのは、一度きりではなかった気がする。
短針長針秒針と、目盛りだけ刻まれたそっけない■■■。他に装飾らしきものは一切なし。
注目すべきは、秒針が反時計回りに回転していることか。
「そういうこと、さ」
そうして俺は、右腕を天に掲げた。
右腕の手首に絡まっている一つのブレスレット。しかしそれはただのブレスレットではない。甲の部分に小さな円盤がついて、その中央から長身単身秒針と三本の針が伸びるその腕輪の名は……
「腕……時計」
夕日に照らされたブレスレットを見て親友がつぶやく。
そう、これは腕時計。俺の誕生日に彼女から送られた、機関特注、色気もへったくれもない、プラスチック爆弾の衝撃にも耐える、黒色の精密機器。
長針短針が示す時刻はちょうど6時。
秒針はひたすら“逆回転”し続けている。
「これが、答えだ」
本来正確さを要される機関特製時計の誤作動。
この逆回転と、先程のネジの逆回転。
それら二つの逆回転が一つに重なった時、この試練は全貌を現す。
「思えばあなたが現れた時、一瞬世界が光で包まれた気がしました。その時点で既に試練は始まっていたということか。時計が逆に回り、ネジ穴が左回りで納まる、何もかもが“あべこべ”なこの世界の秩序と共に」
下手したら雲の流れや風の流れ、太陽の軌道までも……
「そう、この世界は“あべこべ”でできている。しかし忘れてはならないのが、今回の試練の内容。あんたの言った『世界の真実にたどり着け』というメッセージ。ならば単純にこのルールに気付いただけではまだ少し……弱い」
天使を一瞥し、俺は改めて彼女プレゼンツの時計を見上げる。
「ところで、先ほど一つ引っかかることがありましたね。あれは確か彼女に指摘されて時計を眺めた時でしたか。あの時の俺は秒針の逆回転にこそ驚いていたが……」
むしろ、真に驚くべきは別にある。
「あの時、時計盤は確か、7時を指していた」
7時、といえばすでに夜だ。しかし砂漠で夜といえば、ちょっと凍えるぐらいの気温では済まない。
砂漠気候において昼夜の気温差が激しいというのは、極めて有名なことだ。
しかし、あの時の体感温度はまだ少し肌寒い、ぐらいが相応しかった気がする。
「まあ、それを抜きにしても、これはちょっと妙なんですよね。だって、ただ時計が逆回転しているだけというのなら、針がそんな時刻を指すわけがない。天使が出現したのがおよそ3時。俺がビル内の見回りをしていたのが2時間丁度。(俺の体内時計は秒単位の正確さを誇る)。時計が逆転したのが天使が出現したのと同時だとするのなら、逆回転していた時間も同じ2時間丁度。……ならば、その時点で時計が示している時刻は3時から2時間引いて、1時が正しい」
しかし時計が刺していたのは7時。これにはあまりに大きな差がある。
「すなわち俺はまだ、何かを見落としているということだ」
それこそがこの試練の最後の関門。攻略に至る上での最終ステップ。
「そこで俺が思い出したのが……」
手元のネジを見る。
「この試練の原点。すなわち“あべこべ”だ」
ここで一度原点に帰ればいい。
あべこべ、それこそがこの試練の本質。
今日一日において“あべこべ”たるものが他になかったか、と思い出してみる
すると………
「一つだけ……、決定的に“あべこべ”なものがありました。それは今日に限らず日常生活の中でよく見かけるもの。自らの姿を映し、自身の容姿、衣装を確かめるという、俺のような色男には必要不可欠な日常品」
豆粒大の自分、髪を掻き上げる自信を思い起こす
「即ち……………………、鏡だ!」
言葉を天使に叩きつける。
「鏡、それこそまさに“あべこべ”な世界の代名詞。万物を正確に映しながらもその映し方は左右対称」
正確にいえば逆転しているのは奥行きなのだが、そのあたりは今回、目を瞑る。
「試練が始まったのが3時。見回りしていたのが2時間。ならば見回りが終わった正確な時刻は5時丁度」
しかし………
「しかしアナログ時計上で5時を指している針を左右反転してみれば……指している時刻は……7時丁度となる!」
ここで俺は後ろを振り向く。
背後にあるのは一つの建築物。この建物より僅かに高く、外壁を鏡でコーティングされたこの都市唯一のミラービル。
「ここは鏡の中の世界!ここにいる俺たちも、あんたも、世界も全ては鏡の中に映し出された鏡像にすぎない!故にそのあり方は全てが左右対称。あなたの光が世界を包んだとき俺たちはこの鏡の世界へと飛ばされてしまった」
もはや後ろの天使など眼中にない。俺が睨みつけるのは目の前のミラービル……に、映し出された背後の天使、の中央にある紅の瞳!!
「何もかもが“あべこべ”なこの世界。あるものはすべて偽り。しかしその世界で唯一真実を写し出すものがあるとしたら……」
そのミラービルをはっきりと指さす。
「そう、あべこべの世界をあべこべに映すもの。すなわち……鏡だ!!」
冷気に熱気が絡む。呆然と見上げるドクター。
「鏡によって映し出された世界こそこの世界の本来あるべき姿だ。そこに移る天使こそ、 俺こそ、世界こそ、それこそがあんたの言う世界の真実!!」
鏡に移った天使に向かって吠える。
「これが、この試練の答えだ!!」
一瞬、風が止んだ。
まるで時間が止まったかのような静寂。
……まずい、何かを間違えたか。
その一瞬が永遠に続くのではないかと思えたその時……
『見事だ。よくぞ我が答えにたどり着いた……。人の子よ』
天使の声が世界に響いた。その声は後ろの天使から発せられているものではない。
声の主は目の前のミラービルに移りこんだ鏡像の……
『この世界は鏡である。故に鏡の中の鏡こそ真実を写すもの』
ピキリ、と、上空から音が聞こえた。
見れば空には一筋の、まるでガラスの罅がごとき亀裂が走っている。
さらに亀裂は音を立てて広がっていき、枝別れを繰り返し、やがて雲の巣のごとく空を埋め尽くす
同時に大地が震え、地面から木霊する震動音。
『君たちの勝利だ……人の子よ』
次々と建物は崩落し、偽りの世界が崩壊していく。
『天恵を…………与えよう』
ミラービルが輝きを放つ。
白き光が再び世界を包みこんでいく………
………………………
…………
……
そうして、俺たちは現実へと帰還した。
「ここは……」
気付けばそこはビルの屋上。アラブ新興開発区域、建設途中のビル。
そこに無様にへたり込むように俺は座っていた。
空には亀裂もなければ、震動音も聞こえない。
「どうやら、現実世界に帰れたみたいだな」
ほっと一息つく。
あたりはすっかり暗闇と化し、時計を見れば時刻は6時半。秒針は確かに時計回りに回転している。
「はっ!ここは……、試練はもう終わったんですか!?」
俺の隣で眠りこけていたドク公が目を覚ます。
この野郎、どうやら俺の解答の終盤あたりで失神していたらしい。
「よかった……。やってくれたんですね、アル……ごぼっ」
攻略してもしなくても吐くのか。……ずいぶん痩せたな、ドクター。
「しかし、なんか微妙に様子がおかしいような。何かがさっきまでと違って……」
何かぬぐえない違和感がある。
例えるのなら風、か。
昼間の砂を含んだ熱風と違って、今肌をなでる風はどこか透き通って湿気を含んだ……
「よっ……、と」
ここでようやく立ち上がる。そして周囲を見渡すと……
「な……!?」
思わず目を疑った。
そこは今まで俺たちがいた世界とは違った。
いや、確かに俺たちの世界のはずだ。右手のミラービルも真下の歓楽街も確かにこの開発区域にあったもの。
しかし……、この世界には先程まであった、あるものが決定的に欠落していた。それが……
「砂漠が……」
そう、その世界からは砂漠が消失していた。
この地方の象徴ともいえる砂の平野。
それも、ただ消えてなくなったというわけではない。砂の平野が消えて代わりにそこにあったのは……
「森が……。緑が砂漠を覆い尽くして…………」
砂漠の代わりに合ったのは一面の森であった。
それも周囲数キロとかそういうレベルではない。見渡す限り、地平線の彼方まで………
「これが、まさか……天使の試練を攻略した時にもたらされるという………、“天恵”?」
話には聞いていた。
天使の試練を攻略した際に与えられる、天使からのご褒美。話には聞かされていたものの、実際に目にするのではその迫力が全然違う。
あまりにも圧倒的な変化。あまりにも法外な奇跡。
「いや、しかしこんなことしちゃって大丈夫なのか?」
思わず間抜けたセリフを口にしてしまう。
下から聞こえる人々の歓声。またも泡を吹いて、ぶっ倒れるへタレドク。その時つま先に何かがぶつかった。
見ればそこにあるのは大きさ15センチほどの細長い石。
一見して宝石。しかし不純物などは一切なく、内側からオレンジの輝きを放つそれは、今まで俺が見てきたどの宝石とも違う気がする。
なんだろう、これは。風で飛んできた、というわけではなさそうだが…………。
「まあ、いいか。彼女のご機嫌取りに使えるかも知れないし」
引き寄せられるように石を手に取り、ポケットにしまう。
「さて、と。それじゃ用も済んだし、そろそろ引き上げるとしますか」
木々の香り含むその風に背を向け、ビルから出るべくペントハウスへと向かう。
一向に目を覚まさぬドクの足首を手に取り、引きずりながら。
しかし……
「あんた、本当にいいご身分だよな。ドクター」
確かこの人、俺を助けに来てくれたんじゃなかったっけ?
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