「い……、いかがですかアルくん。試練は解けそう……ですか?」
相変わらず地べたに這いつくばりながら、ドクターことブルー・バルムンクは問いかけた。
「んー、どうだろう。もう少しで解けそうな、解けなさそうな……」
振り向かずに答える俺。
やはりこういう謎解きは閃きが肝心と思う。時間をかければどうなるものではないというか
「案外その辺で昼寝でもしていた方が閃くことがあるかもな……」
「そんな悠長な!このままではいつ制限時間が来るか分かったものではないというのごババッ」
本日三度目の嘔吐。胃の中のものをぶちまけ、痙攣するドクター。
悲しいまでのメンタリティの弱さ。彼の顔色は白から青を通り越し、すでにビリジアンと化している。
「お……お願いですから一刻も早く天使を攻略してください。この街の住民のために……。何より僕のために……」
……全く使えない男だ。これではどちらが助っ人か分からない。
先程本部と通信してから早一時間。試練の攻略は一向に進まず、事態は悪い方向へ転がりつつあった。
街の住民は避難を試みるも、都市の周囲には見えない力場が展開され、外に出ようとする者達を中に閉じ込める。
俺とドクターは相変わらずこの建設途上のビルの屋上で試練の攻略に挑むも、しかしこれといった進展はなく、ただひたすら天使とのにらめっこを続けていた。
「あなたなら何とかできる……はず。機関でも天才と謳われ、唯一の最高位エクスカリバークラスに就いたあなたなら……」
「…………」
エクスカリバークラス。それは機関の中でも最優のエージェントが就くことができる最高位の階級。
ちなみに……、その下にはティルヴィング、バルムンクと続く。
「肩書で攻略できるなら苦労はないなあ。そもそも俺、こういう謎解きっていまいち苦手で……」
なにせ専門は泥棒だしな。故に推理したり謎解きしたりというのは、少しジャンルがずれている。
「苦手なのではありま……せん。あなたはやる気を出していないだけです。本来あなたほどの能力があればこの程度の試練、とっくに攻略できていてしかるべきなのです」
この程度、ときたか。なら自力であんたが解いてくれればよかろうに。
「早く本気を出してください……、アル。このままではあなただって死んでしまうんですよ。あなたは死ぬのが怖くないのですか?生き延びたくないのですか?」
「………。別に本気を出してないなんてことは……」
ない、とは言い切れないかもしれない。
確かに、初めて目にする大型天使を前にしても、俺は未だ夢見心地であった。
まるで、現実味がない。
巨大な案山子。広大な砂と青空の世界。
例えるならおとぎ話の中にでもいるかのよう。
しかし、これはまぎれもない現実で、俺は絶体絶命のピンチのはずだ。
「どんな才能も使わないことには用をなさない。能力というのは生かされて初めて意味があるはぼばっ……」
ゲロゲロ吐きながらも、ドクターは震えるその手で工具を取り、先程の無線機をいじり始めた……。
時計回りに回転するドライバー。
ポトリとこぼれ落ちるネジ。
アルセウスは天才である。……というのは幼少のころから聞かされ続けてきた言葉だ。しかもそれはお子様に対する賛辞ではなく、本心から言っているらしかったからタチが悪い。
歳半ばのガキをちやほやしてどうするのだ、と思わないでもないが、悲しいかな、俺の才能とやらはその賛辞ですら追い付かない程に、たいしたものだったらしい。運動神経、学力は言うに及ばず、それ以上に俺が秀でていたのは、盗みや騙しといったいわゆる“泥棒”のテクニックだった。
子供のころ俺は少年窃盗団の一員だった。
もとより身寄りもなく、彷徨うように生きていた俺がそこに身を置くことになったのは偶然といえば偶然だし、必然といえば必然であった。
窃盗というのは当然犯罪行為であり、世間様に後ろめたいことをしている、という認識がないでもなかったが、しかし周りも同じことをやっているとならば、たちまち罪悪感など雲散霧消する。
俺は彼らの中でも優等生だった。
毎朝通勤途中の大人から、金目のものをすり取るのが俺たちの日課だった。
俺が1時間も街を回れば、たちまちポケットはユーロ紙幣でパンパンになる。
もっとやろうと思えばできたのだろうが、目立ちすぎるのもまずいだろう。
それでも俺が盗んできた金額はメンバーの中では飛びぬけていて、組織は俺が加入してからその収入が倍以上になった。
まあ、調子に乗ってアパートの1フロア全てを借り切るまでにいたったのは、少しやり過ぎだと思うが。
仲間たちは俺を天才怪盗と呼び、讃えた。
嬉しくないといえば嘘であった。
さて、そんな身寄りのない俺ではあったが、一人だけ親、と言えなくもない人物がいた。
そいつと俺に血の繋がりはなかった。それどころか一緒に暮らしていた、というわけでもない。
しかし俺は彼のことを“爺ちゃん”と呼び、慕っていた。
その男は俺の目から見ても変わり者だった。
裏路地に茣蓙を敷き、一日中ぼーっと空を見上げているかと思えば、時々もそもそとどこかに出かけているだけ。
金髪金眼、しかし服はボロボロ。見た目50オーバー。
どこから見ても物乞いにしか見えない彼は、自らのことを大怪盗と名乗っていた。
俺がどのようにしてその男と出会ったのかは省く……が、いつからか俺はその裏路地に足を運び、男から色々な話を聞くのが日課となった。
俺は彼から泥棒のテクニックを教わった。
他にも人を手玉にとるための話術や、後に俺の代名詞ともなる変装術。それから女性の気を引くテクニックなども少々。
尤も、彼に本気でそんなことを教え込む気はなかったらしい。単に暇つぶしでだべっていたつもりが、俺の飲み込みが魔王級によかっただけとのこと。
一度だけ、そいつは俺に言ったことがある。
「いいか、アルよ。お前は確かに天才だ。しかしそれに増長してはならない」
強く俺の肩を掴み、睨みつけながら言う。
「なぜならお前の才能は“悪事”を働くことに特化しているからだ。故にお前の才能はお前に幸福をもたらすことはない。導くこともない。むしろその才能におぼれた時こそ、おまえは真に暗闇の世界へと引きずり込まれるのだ」
子供心にその目が怖かったことだけは覚えている。
あの目は完全に「大丈夫か?このガキを野放しにしておいて。こいつはここで息の根を止めておいた方が、世のためになるのではないか?」と、その心の内を語っていた。
それきりだった。
その日以降、男は裏路地から姿を消した。
俺が彼と会うことは二度となかった。
それから何年がたっただろうか。
相変わらず俺はフラフラと生き続けている。
窃盗団から、さらにヤバめの組織を経て、挙句たどり着いたのがこの天使対策機関だった。
それでもなお漠然と考え続けている。
俺の才能は一体何のためにあるのだろうか、と。
持ち主に何ももたらさない、持ち主を暗闇に引きずり込むだけの能力ならば、いったいこの力は何のためにあるのだろうか、と。
そもそもこんな力を持つ俺って一体何者なのだろう。
というか俺の人生って一体何なのだろう…………
「アルっ!アルっ!!」
と、俺を呼ぶ声が聞こえた。
そこは変わらずビルの屋上。しかし空の色は次第に夕焼けに染まりつつある。
「どうしたのですかアル。先程から何も喋らないで」
「ん、すまん。ぼーっとしていた。なんか昔のことを思い出して」
「またですか……?さっきしっかりしてほしいといったばかりなのに……」
手元の機械をいじりながら嘆くドクター.
右回転するドライバー。ネジ穴から外れるネジ。
「面目ない。しっかし、結局手がかりらしい手がかりはなしか。せめてもう少し彼女から助言を引き出せていたらよかったのに」
「それもあなたの不真面目が招いたことでしょう。だから職務中の女遊びは慎んでほしいと言っているのに」
ぶつぶつ文句を言いながらも、回転するドライバーは止まらず。
繰り返される右回転と穴から抜き取られる……
「………………」
「ちょっと、聞いていますかアル。大体あなたは機関の一員としての自覚がですね……」
……………。
「今度ばかりは言わせていただきますが、あなたはもう少し周りの人間というものを……」
………ちょっと黙れ。
今いいところなんだ。
でも腕の動きは止めなくていい、作業は続けろ。右回転は止めるなドライバーをまわせ右回転するドライバー右回転するネジ回転するドライバーはネジの頭を回しネジは次第にネジ穴から浮かび上がりぽとりと転げ落ちるコロコロ床を転がるネジ回転するドライバーネジはドライバーからコロコロと床にこれげ落ちコロコロコロコロ→↓←↑→↓←↑→↓←↑→↓←↑→……………………
「……、アル?」
パチリ……と、何かが組み合わさった。
「………あんた、さっきから何しているの?」
彼の手元の機械を見てドクターに問いかける。
「これですか?これはですね、先程の無線機ですよ。もうこれは用済みですからね。一度分解して何か役に立つものを作れないかな、と……」
違う。そういうことを聞いているのではない。
「ネジ……」
「………、は?」
「ドライバーとネジ。あんたさっきドライバーで上手くネジが閉められないって泣きべそかいていただろう。なのになんであんたは今軽快に、ドライバーでネジを取り外せるんだ?」
「ああ」
と、ようやくこちらの言うことを理解するドクター。
「ですからですね。これは“逆回転”させればよかったのですよ」
と、落ちたネジを拾い上げ、再びネジ穴にはめるドクター。
ネジの頭にドライバーが添えられ、反時計回りに回転される。
やがてネジはネジ穴に納まり、ドライバーはピタリと止まる。
「……ね?」
「………………」
ね、じゃねえよ、馬鹿。
なんでもっと早くそれを言わない。なんでそこで気付けない。
だからあんたはダメなんだ。あんたがそれに気づいていれば、あんたがそれを教えてくれていたら、とっくに俺はこんな試練、攻略できていたのに……!
「アル、くん?」
今日一日の出来事がフラッシュバックする。
はまらないネジ、光輝く世界、逆回転する時計、豆粒大の自分、無線機で会話した彼女の……
「なるほど。あんたの言った通りだったな」
床に転がるネジを拾いつぶやく。
「俺一人で解けないのが不思議なくらい……、と。確かに、この試練を攻略するための鍵は、すでに俺の手元に揃っていたのだな」
クスリ、と彼女が耳元で笑った気がした。
「あとはそれを一つずつ結びつけていくだけ。それだけでもうこの試練は答えを導き出すことができる……」
顔をあげて天使を見る。
純白の案山子。紅の瞳。
「………、待たせたな、天使様!ようやく用意ができたぜ。今回の試練の解答とその攻略方法を」
『………………』
天使は黙して語らず。
しかし分かっている。あんたは必ず、俺の言葉に耳を傾けている。
「全ての事象はつながった。逆回転する時計、こぼれ落ちるネジ、そしてあんたのくれたメッセージ」
右手を天使に突き付け宣言する。
紅の目が一瞬輝いた気がした。
「今こそ決着の時。これより俺はこの試練の真相を暴き、早々に熱と砂の街からおさらばさせてもらう」
真横から吹きつける風によってコートの裾が、マントのように靡く。
「ショウダウンだ。天使の試練」
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