Stage.1 種火

T

 目を開けてまず視界に飛び込んだのは、雲一つなき一面の青空。
 見つめども遮るものはなく、視線は無限の蒼へと飲み込まれていく。
 高気圧で乾燥した大気と、肌をなでる熱を持った風。
 鼓膜を震わす穏やかな風切り音。
 寝そべった新素材のコンクリートは、いくら太陽光を浴びようと決して熱を持つことはなく、常に心地よい寝心地を俺に提供してくれる。
 時が止まったかのように静かな青と灰色の世界。
 そこに、
 カチャカチャ カチャカチャ
 金属部品のかち合う音が響いた。
 静かに上半身だけ起こす。
 見渡せばそこは広さ400坪のコンクリートの平野。
 地上180メートル、石とコンクリートで作られた空中庭園。
 ここはある建設途中のビルの屋上。
 あるのはこのビル唯一のペントハウスと、手前2メートルにある大きな白い布の袋。
「………?」
 布袋から響く金属音と、微かな歌声。

「人生を……するのは程よい……に、程よいスリル……」

 震えた声と、へたくそなメロディ。
 よく見ると布袋には手足があり、背を向けて屈みこんだ一人の人間だった。
 薄汚れた白衣と癖毛の金髪。
 ダンゴムシがごとくコンクリートにうずくまり、目の前にある箱をいじる。
 ランドセル大の直方体。薄汚れた四角の中にはいくつかの精密機械が取り付けられている。
 左手でネジをネジ穴に差し込み、右手のドライバーで締め付ける。
 キュッと、はまる赤茶色に錆びついたネジ。
 一息ついて額の汗をぬぐい、左手にある工具箱から新しいネジを取り出す。
 そんな彼の背後に静かに這い寄り、音を立てず咳払いを一つ。
そして大きく息を吸い込み

「おっはよ――――――――――――――!!!
ドクター・ブル――――――――――――!!!!!!!!!!
今日もいい天気だぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「ぎぃぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 俺の挨拶からコンマ二秒。ジェットエンジンもかくやという凄まじい絶叫を上げ、背中をのけ反らすダンゴムシ。
 肘がぶつかりひっくり返る工具箱。
 彼の悲鳴が、絶叫が、比喩でなくコンクリ上に積もった砂埃を巻き上げて、それが俺の口にまで入りこむ。
「うわっ、ペッペッ。なんつう悲鳴を上げるんですか、あんたは。昼間から近所迷惑でしょう」
「びびびっくりさせたのはあなたでしょう! 背中から声をかけるなんて、そういう子供じみた悪戯はやめてほしいと、何度もお願いしているのに!」
 半泣きで振り返り、抗議する金髪の男。
「なんだよー。ただの挨拶だろー?一人きりの出張に付き合ってくれた優しい同僚に対する親愛の情を音量で表現してみたのに」
「親愛の情は音量ではなく優しさで表現するものです。ぼくがそういうのに弱いって、あなただって知っているでしょうに」
 腰を抜かして立ち上がることのできないのっぽ。
 身長192pの長身。しかし痩せ気味。 
 前髪からのぞかせる垂れ気味の目から紫の瞳がのぞかせる。
 名はドクター・ブルー。種別、科学者。俺の職場の同僚にして友人の一人。性格温厚。ただしびびりなのが玉に瑕。
 大声や不意打ちに滅法弱く、しかしこうも期待通りの反応をされると、罪悪感より先に嗜虐心をそそられる。
「あー…、よく寝た。今何時だろ?おなかすいた。なんか作ってよ、ドクター」
「何を寝ぼけたこと言っているのですか。もうとっくに昼すぎですよ。起きたなら職場に戻ってください。棟梁がかんかんに怒っていましたよ。」
 空を見れば太陽は緩やかに下降を始め、腕時計を見れば、なるほど時刻は午後三時丁度。
「んー、そうは言っても気分はまだ夢見心地。意識はまだ半開き、みたいな。」
「夢見心地、ですか」
「そうそう、久しぶりに夢を見た。どこぞの学園に通って仲間たちと共に冒険する夢。」
「学園?」
 目を輝かせるのっぽ。喰いついてきた。
「周りにいるのはどいつもこいつもおかしな奴らばかりでね。なのに一緒にいるだけで楽しくてたまらない、みたいな?」
「た、楽しい友人……。そ、それで。ぼくはどうだったんです?そんなに楽しい夢なら当然、ぼくもそこにいたわけですよね?」
「へ? いるわけないじゃん、親友かぶれ。あんた自分の年齢分かってないでしょ?」
「ひどい!ぼくたち友達でしょう?なのにぼくだけ仲間外れにするなんて!そんな楽しい夢だったなら、ぼくも招待して下さいよ!」
 肩を揺さぶりながら無茶を言う金髪。
 一応俺より7つ年上の24歳。
 どういうわけか俺にべったりで、しかし特別そういうケがあるわけではなく、単に精神年齢が幼いだけだったりする。
 しかし、その子供っぽさが、年齢が離れても友人でいられる理由。
だが、このくそ熱い屋上でおんおんと泣き叫ぶ年上の男は、見苦しいを通り越して害悪ですらある。
 その時、
「こらあ!こんな所で油を売っていたかお前達!さっさと仕事に戻れ。今日は下の配管を片付けるまで休憩はなしといっただろう!」
 ペントハウスから一喝、中年男性の罵声が飛んできた。
 振り返ればドアに立つ40代、中肉中背のおっさん。
 色黒の肌、顎に蓄えた黒ひげ。
 誰であろう、この建設現場を取り仕切る建設会社の社長さん。
「急がないと工期までに間に合わん。貴様らのせいで遅れたら、このビルの屋上から吊るしあげるぞ!」
 色黒のおっさんは日本から出向いてきた職人気質で、短気ながらも気風がよく、仕事の腕は世界的にも評判がいい。
 忙しい彼はそれだけ言い終わると、さっさと下に降りて行った。
「だ、だから早く戻ってくださいと言ったのに」
 ぼやきながらも金髪自身は動かず、手前の機械をいじくっている。
 やむを得ず立ち上がる俺。
 するとそこから見えるのはビルの向こうの砂漠地帯。
 ここは砂漠に隣接して造られたアラブの新興開発区域。
 あたりには金持ち接待用の観光施設やホテルが立ち並んでいる。
 このビルも完成の暁には巨大なショッピングモールになるとかで、3ヶ月後のオープンを目指し、ただ今建設真っただ中である。
 俺はこのビルの建設会社の従業員。昨今流行りの派遣労働者で、収入はそこそこだが、将来の展望は不透明。
 急いだくださいと急かす同僚を無視し、西にある高層ビルに目を向けた。
 およそ100メートル先。高さはこちらのおよそ1.5倍で、外壁を鏡でコーティングされたここでは珍しいオフィスビル。
 俺の視線と、ビルの外壁はちょうど垂直。故にその鏡には豆粒大の自分が映る。
 真白きシャツと黒のズボン。
 褐色の肌に黒髪の長髪
 右ポケットから櫛を取り出し、豆粒を見ながら髪を整える。
 男児たるものかっこつけることを忘れるな、とはお祖父ちゃんの遺言だ。
仕事に向かう身だしなみを整える中で、一瞬オレンジがかった茶髪が脳裏によぎった。
 思い起こされる先程の夢。
 どこぞの国の生徒会。
 一癖も二癖もある仲間たち。
 夢のいたる所に欠損はあれど、出会った三人の顔は鮮明に思い起こせる。
 四人揃えば完全無欠のA校生徒会メンバーズ……。
 果たしてあれは夢だったのか。
 その時ガシャンと音が響いた。
 右を向けば慌てふためく友人。どじってまた工具箱をひっくり返したらしい。
「そういえば、……さっきからあんた何の機械をいじっているんです」
「……決まっているでしょう。無線ですよ。[本部]と連絡をとるための」
「無線って?連絡用の通信機ならあんたが持ってきてなかったっけ」
「それは昨晩あなたがカジノで大敗して、借金のかたに持っていかれたでしょう! ですからぼくはここにある機械を組み立てて……」
 なんと無線を自作。流石ドクター・ブルーの名は伊達じゃない。
 ちなみにドクターというのは本名ではなく、無論綽名。
 本名は知らない。知る必要もない。
「ああっ。早くこれを完成させて連絡を取らないと、下手すれば服務規定違反で銃殺に!」
 頭を抱え天に向かって泣き叫ぶ親友。
 それとほとんど同時であった。
 パキリ、と天からガラスの割れるような音がしたのは。
 見上げれば先程までの青空に一本の亀裂。
 亀裂は音を立てて広がっていき、そこからの木漏れ日がごとき光が、薄らと光のカーテンを作る。
 そして光と共に亀裂の中央からは這い出てくる謎の突起。

『わが問いに……、答えよ人の子』

 重低音が木霊する。
 ドクン、と跳ねあがる心臓の音。
 天をも震わす轟音。亀裂から這い出てくる突起は何かの体の一部であり、次第にそれが姿をさらしていく。
 黙って見上げるアラブの人々。
 止めることなどできない。止める理由などない。
 そして明らかとなる全貌
 全長およそ30メートル。金属質の外殻。銀と白のカラーリング。
 フォルムは一言で言うなら案山子。
だがいたるところから突起が飛び出し、顔にあたる部分には巨大な紅の円がある。
それはさながら瞳か太陽。
 後光をまとい降臨するそれの、例え形を見るのが初めてだとしても、例え声を聞くのが初めてだとしても、……その存在が何者かは世界の誰もが知っている。
 
『我が身は偽り。汝らも偽り。世界の真実にたどり着け』

 告げられし言葉は神託のごとく。青空のもとに響きわたる。

 其は試練。人の存在を推し量る者。
 其は祝福。人に恵みをもたらすもの。
 其は破滅。人に滅亡をもたらすもの。

『人の子よ、我が試練に挑め』

 人類史上現時点における、人類にとっての最大最悪の脅威。
 人が未来に向かう上で決して避けて通れぬ存在。
 其の名は

「天……使」

 それこそが彼の名。
 この俺がアラブまで出向いてきた本当の目的。
 およそ俺たちと同じ高さ、ビルの東側50メートルに降り立つ純白の案山子。
 腰を抜かしへたり込む垂れ目を横に、俺たちを見下す真っ赤な瞳を、正面から見返してやる。
 白状すると俺が派遣社員というのは半分嘘で半分本当。
 正確に言うなら、派遣というよりは潜入。
 この地区に潜り込むため、一人の社員の肩書と[顔]を借りた。
 目的はこの地において数日中に現われるであろう、かの存在との接触。そして戦闘。
 国際天使調査機関天使攻略班AAAのエージェントである、俺に課せられた本来の任務。
 頭に付けていた黒髪のかつらと、顔に張り付けていた変装用樹脂製マスクをはぎ取る。
そこから現れたのは白き肌と空を切り取ったがごとく鮮やかな、トレードマークの蒼髪。

 そう、俺の名はアルセウス……。
 アルセウス・エクスカリバー。
 種別は怪盗。特技は変装。
 どこから来たのか、どこへ行くのかもわからない。
 天使機関最優のエージェントとも評される、永遠の迷子。

 正面からぶつかる赤と紅の視線。
 次の瞬間、天使の全身が輝いた。
 まばゆい光が世界が白色に塗りつぶしていく………