大崩落事件が解決してからすでに十日が経った。
 今度こそ暗黒シティを滅ぼすかと思われた大災害も、終わってしまえば数ある事件の一つ。現在市民たちはその復旧作業に追われていた。
 建築資材の搬入。ライフラインの復旧。工場区域の再建などなど。流石災害慣れしているだけあって、その手並みはなかなかのもの。日を追うごとに暗黒シティの復旧作業は進んでいた。
 注目すべき点があるとすれば、その作業に秘密結社の連中も協力していることくらいか。日ごろ暗黒シティで揉め事を起こしているヤクザ共も、こういうときばかりは空気を読むらしい。皮肉なことにこの街に平和をもたらすのは、市長軍でもなければ革命結社の連中でもなく、それらをぶっ壊すほどの大災害だということだ。
「と、いっても束の間の平和だろうけどね」
平穏に見える日常の裏では、着々と“次”の準備が進んでいるのだろう。となると俺ものんびりしている場合ではない。やるべきことはそれなりにあるはずなのだが、
「しかし、ね」
 やはり今の俺が現場にしゃしゃり出るのはよろしくないだろう。先日の事件で俺はちょっと飛ばし過ぎた。あらゆる連中を振り回し、いろんな人間の信頼を踏みにじり、結果事件の解決には貢献できたものの、代償としてこれまで積み重ねてきたもの全てを失った。
 今の俺は暗黒シティでも一二を争うほどの厄介者だ。ワイドショーも三分の一は俺の話題だ。じきに忘れられる日も来るのだろうが、今の俺があちこちに顔を出すのは新たな揉め事の種になりかねなかった。

 いつもだったら、こうして暇を持て余していると、決まって彼女が現れてその平穏をかき乱したものだ。
 黒髪の美女。昼行燈のど天然でありながら、どこか不思議な魅力をもつ俺の上司。
「隊長、何か命令はないんですかね。俺達を振り回す命令はさ」
 虚空に問いかけたところで返事はない。いつもだったらどこからともなく姿を現して、俺にとんでもない無茶を押し付けてくるのだが。
 今日何度目かの欠伸を噛み殺しながらも、目の前に積み重なっていたファイルを一つ手に取る。表紙には「大崩落事件犠牲者合同葬儀についての計画書」と書かれていた。
 先日の事件では市長軍一般市民合わせて万単位の死者がでた。このような時にはこういった合同葬儀を催すことも珍しくもない。まあ宗派や手続きやらでごたごたするのがお約束だが、やらなければやらないで角が立つ。
 スケジュール、予算の見積もりと来て、次に記されていたのが犠牲者の名簿であった。およそ500ページにわたってびっしりと書き込まれた、死亡者や行方不明者の簡易データ。
 これも俺の担当だったのか。ならば一応チェックしておいた方がいいのだろうかと適当にページを捲っていたところで、あるページの先頭を見て手が止まった。

死亡者6536
キリア=ミナモト
所属 市長軍 
西区域中枢にて消滅。

 数万人分の名簿の中で、偶然にも彼女の名前を見つけてしまった。
「………………」
 急激に肌に纏う空気が冷めていくのを感じる。夢見心地だった気分が一気に現実に引き戻される。
「いや………、わかっているんだよ。彼女が死んだってことはね」
 別に現実から逃避していたわけでもない。俺を導いてくれた麗しの女神キリア隊長は、大崩落事件の解決と引き換えに、光の海に消えてしまった。
「しかし、何もこのタイミングで死ななくてもねえ」
 正直思う。
 思い返されるのは一週間前に焼いたケーキのことだった。それは彼女と彼を祝福するために作った、純白のケーキ。
 あれを焼くために俺は暗黒シティ一のパティシエに弟子入りし、あらゆるケーキ作りの秘伝を叩き込まれ、市場で最高級の食材をかき集めた。そして試作品を作ること数百、ついに俺の人生における最高傑作を完成させたのだ。
 高さ12メートル、重さ1t、使われた苺の数は2000個。周囲には生クリームとホワイトチョコによる繊細なデコレーションが施され、まさに最高の味と美しさを兼ね備えた究極のウェディングケーキであった。
 正直、戦闘やオディセウスの儀式の時以上に、情熱を込めて作り上げた一品。それは俺を地獄の底から救い出してくれた彼女に対する最大の礼、となるはずだった。
 しかし、結局彼女がそれを口にすることはなかった。ケーキを式場に搬入したと同時に起きた大地震によって、白き巨塔は一瞬で崩れ去ったのだ。そして焼き直す間もなく俺達には出撃命令が下り、その事件で彼女は帰らぬ人となった。
「また焼いたら食ってくれるって約束したんだけれどなあ」
 約束も彼女も、光と共に消えてしまった。残されたものといえば右手のクローゼットの中に仕舞ってある〈あれ〉と、それに伴う一つの命令くらいか。
 しかし分からない。何故彼女は俺にあれを託したのだろう。そしてあの命令には一体どのような意味があったのだろう。
 判子の音と時計の針の音が空しいデュエットを奏でる。どうにも事務作業をこなしている気分ではなくなってしまった。
「帰りますか」
 今日のところは自宅で昼寝でもしようかと思ったところで、

「なめんじゃねーぞこのアマ!」
 
 窓の外から微かな罵声が聞こえた。
「ん………?」
 加えて聞こえる激しい剣戟。何かのもめ事だろうか?あるいは新たな事件のはじまりとか?
 距離は近い。おそらく一階の庁舎前広場からだろう。あちこちからお払い箱にされた俺であるが、一応この区画の責任者である以上、黙って見過ごすわけにもいくまい。
「それに、隊長ならほっとかなかっただろうしね」
 立ち上がって剣をとり、執務室を出る。そうして俺は下行きのエレベーターへと向かうのであった。

 その先に、彼女の時ほどではなくとも、そこそこの出会いが待ち受けていることも知らずに……。