「まったく、なんの因果かな……」 埃舞い散る路地裏で、ビルを背に座り込む俺。 同様に隣には白コートの少女が座り込んでおり、何を言うわけでもなく、俺のことを見つめていた。 正直、やり辛い。もとより俺も彼女もそうお喋りではなかった“はず”だ。会話が弾むこともなくはなかったが、基本お互い黙ってた時の方が心地よかったというか。 「…………………」 とはいえ、今は黙っている時ではない。状況は刻一刻と悪くなっているのだ。 「それにしても……」 と、切り出したのは彼女が先であった。少女は静かにため息をつきながら、 「嵌められたね……」 「そうだね……」 同じくため息をつきながら返す自分。 彼女はそれに頷きながら、 「違う世界に転送したら元の世界の記憶が失われるって、あの娘言ってたっけ?」 「言ってなかったんじゃないかな?いや、忘れているだけで言っていたのかもしれないけど」 記憶を探りながら答える俺。 「その割にこの世界の記憶はガッツリあるんだよね。これはどういうことなのかな」 この世界の記憶というのは、この世界で生まれ育った自分としての記憶のことだろう。 一般家庭に生まれ、学生時代を過ごし、考古学者見習いとして就職活動に励んだ俺。彼女にも同様にこの世界での記憶があるらしい。 「ん〜、偽物の記憶、というわけじゃなさそうだね。家族や友達もいるわけだし………。ということは世界の方で矛盾が起きないように環境を修正してくれたとか?」 「つまり、私たちが異分子にならないように、世界が記憶や世界自身に手を加えてくれたということ?」 「まあ推測でしかないけど」 ただそう考えれば筋が通るのではあるまいか。ほとんどSF世界での話ではあるが。 「あの娘はそれを知っていて、何も教えずに送り出したの?いくらなんでも大雑把すぎない?」 「まあ、それが彼女の持ち味かもしれないわけで」 まあ言ったところで、どうにかなったわけでもないだろうし。むしろ言うことでカタナが躊躇してしまった可能性もあるわけで。 「………それで、肝心なことなんだけれど。元の世界の記憶……、君はどれくらい覚えている?」 そう問いかける彼女に対し、 「いや、全然。ほんの少ししか覚えてないよ」 首を横に振り、正直に答える。 「実際さっき君と再会するまで元の世界のことなんかさっぱり忘れていたよ。こうして会話したことで、断片的に思い出せたくらい」 さながら深海からいくつかの欠片が浮かんできたかのように。しかしそれも浮かんでは次々と消えていく。 「でもそれ以上は無理だね。それに思い出したところで、まるで現実味が感じられない。むしろ今じゃこっちの記憶こそが本当で、向こうでの出来事は夢だったんじゃないかというくらい」 思い出そうとすればするほど曖昧になっていく記憶。あれは本当にあったことなのか。俺たちはただ似た夢を見ていただけではないかと、考えれば考えるほど自信が持てなくなっていく。 「あはは。私と同じか」 寂しげに笑う彼女。 しかし、 「それでも、本当にあったはずなんだ。あの街での冒険は。私たちは確かに“何か”に、たどりついたはずで………!」 拳を握りしめながら、自分に言い聞かせるように彼女。しかし悲しいかな、それを証明する手段はない。この世界に転送させられた時点で、俺達とあの街の接点は消滅した。 もう俺たちはあの街に干渉できない。無関係。そういうことなのだろう。 「結局、この世界で生きていくしかないのかな?私たちは」 「そういうことだろうねえ」 当前の結論にため息をつく。 はたして俺たちは勝ったのだろうか?負けたのだろうか? 様々なものを巻き込んだ俺たちの冒険。 我武者羅に突っ走ってゴールこそしたものの、代償としてあらゆるものを失った。 そうまでして手にしたものは手元に残らず、新たに始まったのは全く異なる世界での人生。 これで勝ったといえるのか。俺たちの戦いには何の意味があったのだろうか。 ゆっくりと流れる白い雲を見つめ、 「…………でもまあ、いつまでもうだうだいっても仕方ないよね」 沈黙を破り、話を打ち切ったのは、意外にも彼女の方であった。 「カタナ?」 「失くしてしまったもの戻らない。以前いた世界には帰れない。だったら未練がましいことを言っていても仕方ない。いまはこの世界で頑張らないとね」 ビルの隙間から空を眺めながら、拳を握りしめて彼女。 「たくさん失敗した。たくさんのものを失った。でもきっと私たちは全力で生きぬいて、ゴールにたどり着いたはず。だったらあの街にやり残したことはもうない。次はこの世界で同じように頑張っていかないと」 そういって微笑む彼女の笑みには、以前とは違う強さのようなものが見えた。 「それに全部が全部失われたわけじゃない。残ったものはあるし、手に入れたものだってある。なら失ったものを悔やむより、今あるものを大切にしないと」 握りしめた拳を見つめて彼女。 彼女が手に入れたもの。それは今の意思の強さだったり、瞳の輝きだったりするのだろうか。 では、俺が手に入れたものはなんなのだろう? 「でもやっぱり最大の収穫はクロくんかな。君がいれば私はどこだって楽しくやっていけるし」 「………………」 ちっ。はっきり言いやがった。 「君だって私と再会できて結構うれしいはずだよね?」 しかも煽ってきた。つられまい。これは雰囲気でものを言わせて言質を取る作戦だ。 「やれやれ」 でもまあ彼女の言うことも一理あるか。 確かに俺たちはあの街でやるべきことはやりきった。いまさらあの街に戻って何ができようか。 ならば過ぎ去った過去を悔やぶより、今を大事にするべきだろう。 きっと、”彼ら”だってそれを望んでいるのだろうから。 「それに………」 どうにもこっち世界はこっち世界でハードらしいし。本腰入れてかからないと、あっという間にゲームオーバーだろう。 せっかく来た新しい世界を堪能するためにも、唯一残った大切なものを守るためにも、今はここで頑張る時なのだろう。 「というわけでひとまず逃げ道を探しますか」 そういって立ち上がりズボンの誇りを払い落とす俺。 「あれ?ここは『ぼくも君がいれば十分だよ』という場面では?」 ”今は”言わねーっつーの。 今大事なのはこの路地裏がどこにつながっているのかということ。できれば安全なところに行ければいいのだが。 それを確かめるためにも細道を進もうとしたところで、 「いや、逃げるのもいいんだけれどさ、クロラットさん」 ガシリと俺の手首を掴んでカタナさん。 「いっそ抜本的な解決方法に乗り出すのはいかがかなーなんて」 華やかな笑みを浮かべて彼女。 「抜本的な解決?」 なんだろう。記憶上、彼女がこのような笑みで提案をしてきたとき、碌な目にあったことがない。 「だからさ、逃げ回るよりも倒しちゃったほうが早いんじゃないかなーって」 すでに、だいぶ遠ざかった怪物の背を指さしながら彼女。 「倒すってもしかしてあの怪物を?何言っているんだい。今のぼくたちには何の力もない一般市民だよ?」 そう。今の俺たちは剣も魔法も使えない、普通の人間なのだ。まだファンタジー世界の癖が抜けきっていないのか、彼女は。 「君こそ何を言っているんだい。もともと向こうでも、君は何のスキルもない最弱頭脳系キャラだったじゃないか。だったらこの世界でもその頭脳があれば、あんな怪物の一匹や二匹ちょちょいといけるって」 そんなめちゃくちゃな理屈はない。 何だ。妙な方向にテンションが上がってないか、彼女は。もしや俺と再会したことで変なスイッチが入ったとか? 「さあ、クロくん伝説第2章のスタートだよ。主演クロくん、脚本演出は私。東京都を舞台に髑髏顔の怪物をねじ伏せていくヒロイックファンタジーとかどうよ」 「どうよじゃないから。この世界もっとリアル寄りだから。あほなこと言っていないで逃げないと、命がいくつあっても………」 しかし言い終わる前に、彼女は表通りに飛び出していた。 「おおい!そこの髑髏野郎。ちょっとこっち向け!」 怒号もかくやの声で叫ぶ彼女。 500メートルほど先、立ち去ったはずの怪人がこちらに振り向く。 「街を荒らし弱者を踏みにじる悪行三昧、お天道様が許してもこの私が許しません!それ以上の暴虐を働くというのなら、ここにいるクロくんを倒してからにしなさい!」 「何を言い出すの、君!?」 引っ込めようと表通りに飛び出す俺を、ぎょろり睨みつける怪人。 まずい。目があった。 「さあ、これからどうしようか、クロくん」 「どうしようじゃねーよ、馬鹿!」 前言撤回。やはりこの女とは縁を切っておくべきだった! しかし嘆いたところで手遅れ。怪物は猛ダッシュでこちらに向かってくる 「直線距離で20秒ってところかねえ。何かいい策は浮かんだ?クロくん」 「うるさい黙れ!今考えているんだから!」 迫りくる死を前にもはや覚悟を決めるほか道はなく、カビの生えた脳細胞に活を入れる。 |
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