「なんだって? そりゃ、どういう意味だい、じっちゃん」
 薄暗い聖堂で、少年は老人と向き合っていた。
「どうもこうもない。言葉通りの意味だ」
 高さ三メートルほどの、祭壇に坐する黒髪の老人。
 彼こそが狂ノ助の祖父にして黒之葛家現当主、黒雲斎・黒ノ葛である。
「黒ノ屑家の次期当主は、黒鳳に変更する」
 神託のごとく響き渡る老人の声。
 並の人間だったら彼の威圧感に押され、尻餅をついていたかもしれない
「いやいや、意味がわかんねーって、じっちゃん」
 しかし、金髪の少年にとっては、勝手知ったる石頭の祖父であった。
「半年前までは、俺が家督を継ぐって話で進んでいたよね? なのに、どうしていきなり変更になるのさ? つーかあいつが家督を継ぐなら俺の立場はどうなるの?」
「いきなりではない。言ったはずだ。もとより家督を継ぐ資格は、貴様と黒鳳の両方にあると。だからこそ、貴様だけでなく、黒鳳にも“黒ノ葛の試練”を受けさせてきたのだ。もし貴様が不適格なら、黒鳳に引き継がせるために」
「だから、そこが納得いってないって話。確かにじっちゃんの言う通り、俺とあいつは黒ノ葛の家督を巡って、競い合ってきたけどさ。でも試練の結果は、どう考えても、俺の方が優秀だっただろう? 順当に考えて、俺が次期当主から外されることは、ありえないはずなんだけれど」
「確かに……。成績だけを見れば、貴様は黒鳳よりも優秀だった。知識、体力戦闘能力。全てにおいて申し分ない。歴代当主の中にも貴様を上回るものはそういないだろう。あるいは黒ノ葛初代に匹敵する才能を持っているかもしれん」
「でしょ? だったら」
「しかし、貴様は黒ノ葛を継ぐうえで決定的に欠けているものがある。それがこれまでの試練でわかってしまったのだ」
「なんだいそりゃ? もったいぶらずに教えてくれよ」
 老人は数秒程黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「貴様には“野心”がない。未来において何かを成し遂げたいという大志がない。それは魔王の血筋たる我が家を継ぐうえで、致命的な欠点と言わざるを得ない」
「野心……?」
「確かに貴様の能力は優秀だ。しかしそれがある意味、枷になってしまっているのだ。貴様は優秀過ぎるがゆえに、挫折を知らない。自らの力が足りなかった時の惨めさを知らない。故に自分の手が届かないものへの“渇望”がない」
「………………」
「だからこそ、貴様は“小物”なのだ。大志を抱けず、夢も見れず、ただ刹那の快楽を追い求めるだけ。それではいかに能力が優れていようと、宝の持ち腐れにすぎん。そんな貴様が黒ノ葛の悲願を果たしたところで、先祖たちも浮かばれまい」
「……言ってくれるなあ。でもそれを言ったら黒鳳の方はどうなのさ。あいつだって俺と同じで、特別でっかい夢を見ているようには見えないけど?」
「それはまだ見つけていないだけだ。しかし、いずれその時は来る。お前も気付いているはずだ。あの男も斜めに構えているようで、根底には自分の手が届かないものへの“飢え”がある。それはまだ小さな種火にすぎないが、いずれ燃料が注がれるようなことがあれば、一気に燃え上がるだろう」
「燃料、ね」
「その種火は貴様によって灯されたものかもしれん。あいつは、完璧な貴様に押しつぶされないよう、必死に足掻き続けてきた。そうしているうちに、いつしか奴の魂に、けっして消えぬ炎が宿った」
「………………」
「もしや、そのために貴様は用意されたのかもしれんな。奴の存在をより強大なものにするために。より高みへと押し上げるために。その試練として、貴様の力は与えられたのかもしれん」
「与えられたって、誰にさ」
「さてな。初代の意思か。あるいは世界の意思か……。いずれにせよ、お前の人生の主役は、お前ではないということだ。ザ・カウンターとはよく言ったものだな」
「………要するに俺は、ゲームの中ボスみたいな存在ってわけね。しかし悲しいかな。俺自身、思い当たることが……」
 ため息を吐く黒之助。
 しかし、さほど悔しそうにも見えなかった。
「まあ、いいさ。そこまで、じっちゃんが奴をプッシュするというのなら、それはそれで構わない。 ただ俺にも一応意地があるからね。そう簡単に奴に家督を譲るつもりはないよ」
「ならばどうする。黒之助」
「なに、いつも通り、あいつに嫌がらせをするだけさ。文句はないだろう? じっちゃん風に言うのなら、それが俺の役割なんだから。
 で、丁度いいことに、ここに来る途中、よさげな情報を仕入れたんだよね。なんでも、とある大陸の暗黒都市に、とんでもないお宝が眠っているとか」
 胸ポケットから取り出したメモ書きを、老人に差し出しながら黒之助。
「これを最終テストに利用するのはどうだろう? 俺と奴、どちらが当主に相応しいか一目瞭然だし。ついでに、うちの財政も裕福になって、一石二鳥でしょ?」
 にやりと笑う黒之助。
 そんな彼の後ろから、
「ここにいたか、黒之助えええええ!」
 轟音と共に、聖堂の扉が蹴破られ、黒髪の少年が現れた。
「覚悟しろよ、クソ野郎! 今日という今日は、決着を付けて……」
「そりゃ好都合。ならば、望み通り決着を付けてやるとしよう。俺とお前、どちらが先に黄金を持って帰ってこれるか。道中、妨害あり、鉄砲玉ありのサバイバルレースだ」
「は? サバ、なんだって……?」
「つーわけで、じっちゃん、旅費の手配だけ頼むわ。長旅になりそうだから、奮発してくれると嬉しいな。あと、お小遣いも」
「いいだろう。貴様の提案を受け入れよう、黒之助。貴様の言う暗黒都市の秘宝。それを持ち帰ったものを、正当な黒ノ葛の後継者として認めよう」
「いや、ちょっと待て。二人とも何話してんだ? 暗黒都市? 黒ノ葛の後継者? 一体何を言って……」
「なんてことはない。いつも通りの喧嘩さ、黒鳳。ただいつもと違うのは………、俺が本気で、お前を殺すつもりだということだ」
「―――!」
「生半可な覚悟で挑めば、貴様は死ぬことになる。命が惜しいなら、早々に尻尾を巻いて逃げ出すこった」
「ふざけんな!  わけわかんねーけど、他の誰から逃げようが、てめえから逃げることだけはありえないっつーの。いいだろう。理由は知らねえが、てめえがやる気なら、こちらとしても望むところだ!」
 火花を散らす二人の少年。
「今度こそ、てめえをぶっ潰す、狂之助!」


 かくして、物語は始まったのだろうか?
 とある暗黒都市の英雄譚と、とある大陸の戦争の記録は。
 たかが子供二人による兄弟げんか。それがどれだけの運命に干渉したのか。正確に知る者はいない。
 それでもやはりきっかけは、ここにあったのではなかろうか?

「貴様が黒ノ葛を継ぐにふさわしいのか……、あるいはそれ以上なのか。見せてもらおうか黒鳳」

 不敵に笑う金髪の少年。
 いつもと変わらぬようでいて、しかしも見る者が見れば、その笑みに確かな本気さがあったことに気付いただろう。

 銃弾とナイフが衝突する。
 運命の時は近い。
 約束された戦いは、目の前に迫っている。


ブラックブラザーズゼロ 終