探偵でもなければ怪盗でもない。それは黒装束をまとった新たな姿だった。
「その姿は………」
 と、問いかけるお兄さんに対し、
「終わりだ、狂乃助」
 静かに告げる黒ずくめの先生。
「確かにあんたは俺の戦い方に精通しているだろうが、はたしてこちらにまで対応できるかな?」
 衣装の至る所にはくないが括り付けられ、背中には二刀のサムライブレードを背負っていた。
 どこかオリエンタルな雰囲気を醸し出すその姿をみて、誰もが思い浮かべるのは、おそらく………忍者!
 そう、先ほどカードに書かれていたイラストの男と同じ姿であった。
「なんだそりゃ?コスプレか?」
 せせら笑うお兄さんであったが、本心からではあるまい。
 先生の衣装がただのコスプレではないことは、その衣装が発する強烈なREIが示している。

 すなわちこれこそがカードの力。
 古代召喚呪符Gアルカード。
 本来ならば古代戦士を召喚するためのそれは、しかし時が経ちその機能を失ってしまった。
 だが先生は召喚方法にアレンジを加えることで、その能力だけを借り受けることに成功したのだ。
 故に今の先生はカードの中に封印されていた戦士の力を借りている状態。
 スペードのA、忍者マスター。
 地上最強の忍者の能力とスキルが先生には宿っている。

「狂之助………!」
 叫ぶやいなや、両手にくないを構え突進する先生。およそ10メートルほどの距離を一足で詰める。
「道理で嫌な予感がすると思ったんだよな」
 苦笑いするお兄さんであったが、やっぱり大したもの。
 先生のくないに首を掻き切られる直前、神速で自動拳銃を構え先生を撃ちぬく。
「む!?」
 しかしそこに手ごたえはなかった。
 弾丸を喰らった先生の体は、ゆらゆら揺れて霞みのように消えてしまったのだ。
「これは……!?」
 驚くお兄さん。………と、その左を駆けるもう一人の先生。
「なるほど、忍者マスターってそういう………」
 そんな先生を横目で見ながら、納得したようにお兄さん。

 そう。すなわちお兄さんが撃ちぬいたのは、先生が生み出した分身体にすぎなかったのだ。
 弾丸が直撃する直前、先生は分身を身代りにして、横に飛んでいた。
 それから先生はお兄さんとの距離を詰めるわけでもなく、彼の周囲を高速で回転する。
「これは………?」

「灰色の聖書3章6節 暗闇よ現れし闇色の子鬼 金色の魔人を封じる」

 先生が地面を踏みしめると、その場に新たな分身体が生み出される。そして次の一歩踏み出すと、そこにまた新たな分身体が生まれる。
 二人が四人、四人が八人。八人が十六人。
 さらに分身達も本体同様に回転し、新たな分身体を生み出していく。
 四十人、百人、五百人。凄まじい速度で増えていく先生。

「子鬼の牙は千の矢尻となって魔人の臓腑を喰らい尽くす」

 お兄さんが自動小銃でいくつかの分身を撃ち消そうとも無駄。それを上回るスピードで先生の分身体は増産されていく。
「すげーなこりゃ。三人兄弟どころじゃないな」
 そうして数秒たった頃には、千人を超える先生がお兄さんを取り囲んでいた。

「忍者マスタースキル、忍法超分身の術」

 そういって一斉に手裏剣を手にするる、千人の先生。

 すなわちこれこそがカードより授けられた力。
 忍者マスタースキル、忍法超分身の術。
 高密度のREIと魔導プログラムによって組み上げられたそれは、オリジナルと同等の力を持つ高精度の分身体である。
 そして主である先生は、一定時間彼らを自由に使役できるのだ。

「まずったなあ。サービスで狂弾を披露しちまったのが裏目に出たか………」
 ぽりぽりと頭を掻きながらお兄さん。
 絶対絶命の状況にも関わらず、やはり危機感のようなものが感じられない。
「下らない因果因縁と共に……」
 しかしこれを勝機と見た先生達は躊躇わず、
「闇に散れ、狂乃助!」
 一斉にお兄さんめがけて手裏剣を投げつける。
 一人あたり二枚。千人で二千枚。
 全方位から襲いくる手裏剣は、今度こそお兄さんであっても避けきれまい。そして音速の手裏剣に切り刻まれれば、肉片一つ残らないだろう。
「く………」
 しかし、そんな状況においても兄さんは、
「くくくくくくく」
 と、なおも笑っていた。
「いや見事だ、黒鳳。俺が遊び過ぎたのも事実だがな。ブチ切れても策を巡らすことができる程度には成長していたか」
 感慨深げにお兄さん。
 そうして、左斜め下から見上げる先生を見据えて、
「正直感動したわ。褒美に殺されてやってもいいんだがな。…………残念ながら、時間切れだ」
 そういってウインクする。
 まるでその分身こそが先生の本体であると確信しているかのように。
「――――――!」
 驚愕する先生。
 しかしそれからお兄さんは何をするでもなく、

「灰色の聖書 3章7節 魔神の躯から流れ出し黄金の川は 邪鬼たちを悪夢に還す………」

 と、何やら呟いたように思えた直後……、二千枚の手裏剣に貫かれた。
「………!」
 飛び散る黒いコートの切れ端。次から次へと突き刺さる音速の手裏剣。
 無数の手裏剣に切り裂かれた彼の体は、案の定肉片一つ残さず………、
「ん?」
 と、思ったところで異変に気付いた。
 お兄さんの着ていたコートには、確か手裏剣が刺さっていた。
 しかし肝心の、コートの中身が………ない。
「あれ……?」
 これはどういことなのか。
 無残な姿となって宙を舞うコート。しかしその中身は一体どこに消えてしまったのか。
「狂之助……!?」
 戸惑っているのは先生も同様だった。
 千人の分身を動員しあたりを見回すも、お兄さんの姿は見つからない。
「一体どうやって……」
 誓って瞬きもせず見ていたが、お兄さんが脱出する隙などなかったはずだ。
 混乱する自分たち。しかし間をおかず、またしても異変が起きた。
 なんと宙を舞うコートが、

 ポン

 ………という音ともに、消えてしまったのである。
「え………?」
 あとに残されたのはピンク色の煙だけ。
 まるでマジックショーのようにコートは煙と共に消えてしまった。
「これは一体………」
 さらなる混乱に襲われる自分たち。
 しかし、間もなくして、煙の中に何かが漂っていることに気付いた。
「あれは………?」
 ゆらゆら揺れながら煙の中から現れたのは、小さな落下傘つきの巾着袋であった。
「これは、まさか」
 巾着袋はゆっくり左右に揺れながら、やがて先生の手の上に降り立つ。
 その巾着袋を見て先生は驚いた。
「まさか………、エリクサー?」
 他にあるまい。
 先生の手の上に降り立ったそれは、先ほどお兄さんが見せた小瓶入りの巾着袋だった。
 あわてて巾着袋の紐を解く先生。すると中から出てきたのはやはり七色に輝く霊薬入りの小瓶であった。
「いったいどうして………」
 呆然とする先生。
 すると、

『イヤー、あっはっは。残念だったな、黒鳳』

 頭上からお兄さんの声が響き渡った。

『俺にとどめをさせなくてね。いや、俺としても最後まで付き合いたかったんだがさ。あいにくぶらぶら諸国漫遊しているお前と違って、俺は忙しいのよ』

 笑い声と共にお兄さんの声。
「狂之助………!」
 上空を睨む先生だったが、もちろんそこにお兄さんの姿はない。
 微かにエコーがかかった声は、おそらく通信魔法によって届けられたものだろう。
 ならばすでにこの周辺に、お兄さんはいないということか。
「まさか、空間転移魔法か?時限式で発動するやつを、あらかじめ自分に仕掛けて……」
 苛立ち交じりに呟く先生。どうやらここに来る以前にお兄さんは準備を済ませていたらしい。

『つーわけで今回は引き分けってことでひとつ。詫び代わりに霊薬はくれてやるよ』

「な………!?」
 あっけらかんとしたお兄さんの言葉に驚愕する先生。
 しかしすぐに我に返り、
「ふざけるな!何が引き分けだ。これじゃあんたから薬を譲ってもらったみたいで……」
 怒りと屈辱からか怒鳴りつける先生。しかし悲しいかな霊薬は手放せない。
 気が付けば先生の心が乱れたからだろうか、分身達は消えていた。さらに忍者マスターから鴉モードを経て、元の姿へと戻る先生。
「まさか本当に逃げる気か!?つーか、あんたはぼくに用事があるんじゃなかったのか!このままぼくが大陸から出たらどうする気だ!?」
 なんとかお兄さんを逃すまいと、虚空に向かって叫ぶ先生。
 しかし、

『んー、それならそれで別に。逃げたければすきにすればいいさ。もともとお前に依頼するかは検討中だったしな。ヘタレのお前には手に余る仕事だし』

 あざ笑うかのようなお兄さんの声。
「な………!」
 先生はこめかみを震わせる。

『でもまあ、どうしても引き受けたいっていうのなら、そこの輝目羅に詳しい話を聞くといい。……で、お前がちゃんと依頼を果たせたのら、その時は再びお前の前に姿を見せよう』

 報酬を渡さにゃならんしな、と付け加えるお兄さん。
 しかしその声もだんだん小さくなっていき、

『んじゃなー。結構楽しめたわ。カタナっちによろしく』

 チャオ♪という声と共にお兄さんの声は完全に消え去った。
 あとに残されたものは何もなし。
 しいて言うなら先生の手に残された巾着袋と荒れ果てた広場くらいか。
「………………」
 ようやく争いが収まったのかと、広場を覗きに来る住民の皆さん。もちろん先生にそんなことを気にする余裕があるはずもない。
「………あの野郎」
 と、憎悪の眼差しで空っぽになった巾着袋を握りしめる先生。
 すると、
「?」
 何かに気付いたのか巾着袋をひっくり返す先生。
 すると袋の中から折りたたまれた一枚のメモ用紙が出てきた。
「これは………?」
 “依頼状”と書かれた四つ折りにされたメモ用紙。慌ててて先生はそれを開く。
「………?」
 後ろから自分も覗き込むと、そこには次のように書かれていた。

『聖王女の死の真相を暴け(できれば証拠つきでな)』

「これが……?」
 もしかしてこれがお兄さんからの“依頼”なのだろうか。
 余りに簡素な依頼。しかしいったいどういう意味だろう。聖王女とは何者なのか。真相を暴けとはいったいどういう意味なのか。
 自分が首を傾げる一方で、
「………………」
 先生は顔を顰めていた。
 すると………、
「それが狂乃助様からの依頼です。弟様にはどうしてもその謎を解き明かしてほしいと」
 そう言ったのは、いつの間にやら先生の隣に立っていた輝目羅さんであった。
「今大陸で起きている戦争を終結させるためには、どうしてもその謎を解き明かす必要があるのだとか。そして狂ノ助様はあなたなら必ずや解き明かしてくれるだろうとおっしゃっていました」
 そういって、手を天にかざす輝目羅さん。するとそれが合図だったのか、頭上の雲の裂け目から一羽の鳥が舞い降りる。
「あれは……?」
 ゆっくり舞い降りてくる一羽の鳥。それはただの鳥ではなかった。
 黒いカラーリングの機械仕掛けの巨鳥。それはおそらくこの大陸で有名な……、
「魔法獣騎“黒翼”です。狂ノ助様があなたのために造らせた専用の機体です。もしあなたが仕事を引き受けるならば、これを使ってほしいと」
 舞い降りた黒翼の手綱を手に取る輝目羅さん。
「そして私はあなたの仕事を手伝うように命令されました、輝目良= 宮=紅麗と申します。どうぞよろしくお願いします。弟様!」
 そうして彼女はさっと先生に対して敬礼するのであった。
「………………」
 何ともさわやかな彼女に対し、苦々しげな表情の先生。
 まあ、気持ちはわかる。
 仕事の報酬は先渡しされ、依頼した本人は逃走。おそらく先生が仕事を果たすまで、姿を見せることはないのだろう。
「…………ちっ」
 いつの間にやら外堀は埋められてしまった。一方的に嫌いな相手から施しを受けて、気が済む先生ではあるまい。
 数秒沈黙したのち、ゆっくりと先生は顔を上げた。
「いいだろう。引き受けてやろうじゃないか。あんたからの依頼を」
 忌々しげに、小瓶を握りしめながら先生。
「戦争に関わるのは御免だが、あんたに貸しを作るのはもっとごめんだ。あんたにもう一度会う前に、この謎は解き明かしておいてやる」
 そう言って、先生は北の空を睨みつけて、
「ただし………、この仕事が終わったら、確実にお前は殺すぞ、狂ノ助」
 七色に輝く小瓶を懐にしまうのであった。