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 ロビーを抜けてホテルを出る。
 まず自分を迎えたのは人一人いない開発途上の街並みと、真夏と間違わんばかりの湿気を含んだ熱気。
 11月の京都を包む季節外れの熱帯夜。
 しまった、コート着て来たの間違いじゃんと気付くも、今置きに戻れば未練が増すだけなので我慢する。
 昨日まで大雪かと思えば、次の日には真夏日より。桜の上に雪が積もれば、氷柱の上で蝉が鳴く。
 世界規模の異常気象。あからさまな世界の崩壊。されど人々は絶望から目を背け、鈍く逞しく生きている。
 突如膝から力が抜ける。がくりとかがむように地に手をつく。
 額から流れ落ちる汗は熱気によるものだけではなく、どうやら俺もそこそこ疲れているらしい。
 あたりは特に光もなければ音もなく、ただひたすら、静か。
 呼吸を整え立ち上がり、踊るように歩みを進める。しかしその足取りは普段に比べて遥かに、重い。
 思い出すのはここ三日間の出来事。A校修学旅行、京都三泊四日の旅。
 A校二年生の大半が参加し、この俺も乱入したこのイベントは、案の定……というか予測以上に波乱でイベントに満ちた大冒険活劇であった。
 行きがけの新幹線に天使が降臨したかと思えば、翌日現地でまた天使。それらを片づけて一息ついたかと思えば、そのまた翌日また天使。
 天使、天使、天使の旅。
 天使、それすなわち天から舞い降りた超常的存在の総称。
 天使なんて名乗るのならば祝福でもしてくれればいいものを、与えられるのは試練ばかりなのだから、有難みも何もない。
 まさかの三日連続天使出現。いい加減天使など見飽きた俺からしても、このようなケースは初めてだった。
 ……もはや疑いようもあるまい。A校には、いや、A校生徒の「誰か」には、天使を引き寄せるだけの「何か」がある。
 もう一度だけホテルを見る。
 十三階の奥の部屋。先程まで自分がいた部屋の明りを目に焼き付けて、そのまま大通りを外れた左手の細道に入り込んだ。
 カサリ

 細道を進んでいくと、そこにあったのは小さな公園だった。
 中央には小さな噴水。周囲には簡素なベンチ。
 他には何もないが、噴水の水が満月の光を乱反射し一帯をほのかな光が包んでいる様は、まあ幻想的と言えなくもない。
「しっかしこの調子でいくと、また明日あたりも天使が出るんじゃない?」
 カサリ
 ひどく信憑性のありそうな推測を立ててみる。
 出てくるとしたら新幹線、いやそれはもうやったから向うについてからの駅のホームか。ようやく終わったと疲れたところに、ようこそとばかりに待ち構える新たな天使。
 もはや嫌がらせ以外のなんでもないが、でもまあ……
 カサリ
 それもありかも知れない。
 今の彼らなら昼間のノリで試練の一つや二つ攻略してのけるだろうし、旅行の思い出は一つでも多いほうがいい。それになんてったって遠足は帰るまでが遠足って言うじゃない?
 もっとも、一つ問題があるとすれば、
「やっぱり……、どうも俺はその現場に居合わせることが出来そうも

パシュッ

 …………と、そう思ったのと間抜けた音が聞こえたのは同時だった。
 腹と背中に軽い違和感。痛みは…………ない。
 熱帯夜を吹き抜ける一陣の風。
 ゾワリと、かくも底冷えする冷気が俺の首筋を撫でていく。
 二三秒思いにふけった後、なんとなく右手の平を腹に当てた。
 グショリ。
 ああやだな。なんかワイシャツが湿ってます。
 腹から滴る液体状の何か。見るのは怖い。でも見ないでいるのはもっと怖い。
 仕方がないので腹に当てた手を離し、ぽたぽたと垂れる液体はとりあえず無視し、その手の平を目の前まで持っていく。
 そして視界に飛び込んだのは……、なんというか予想通りすぎる、真っ赤に染まった自分の右手だった。
「…………」
 なんじゃこりゃあ!などと叫んでみようかと思うも、口から出たのは
「つーか、血だし」
 割とつまらない言葉であった。
 ここでようやく諦めて自分の腹を見下す。目に映ったのは、右手に負けずクリムゾンな俺のおなか。……と、ぽたぽたと地面に垂れる俺の血液。
 さらに目を凝らしてシャツを見ればほんのちょっぴり破れた跡が。
 これって銃痕?うん、銃痕。だって見るの初めてじゃないもん。撃たれるのも初めてじゃないもん。
 二年前に太腿。一年半前に左腕。しかし、おなかを撃たれるのは初めてだったなあ。
 撃たれた……。そう、撃たれたのだ。誰が?俺が、神堂竜也が、腹を、銃で。ズドンと、否、パシュッと。
「………………っ」
 ズキリ、と、その認識に達した途端痛みが、爆ぜた。腹から、背骨から、脊髄を通過し一気に脳天まで突き上げる。
 ゲボッと、口から吐き出す。もはや確認するまでもない俺の血液。それが鼻から、口から、顎を濡らし、手で塞いでもどうにもならない。
 青いかつらをつけてきたのは正解だった。こうも上から下まで赤一辺倒のコーディネートでは、俺のファッションセンスが疑われる。
 ぜえぜえ。
 それにしても……と、やっぱり筋肉を撃たれるのと内臓を撃たれるのは違うんだなあと改めて噛みしめた後、ここでようやく俺は後ろに振り向くことを決意した。

 月下の公園。俺も入ってきたその入口。
 自転車侵入禁止用の簡素な柵の手前。
 そこに立っていたのはピストルを構えた黒服の強面五人と、その中央に立つフードを被った俺の………昔馴染みだった。

「ごきげんよう、アル。久しぶりに会えてうれしよ。心の底から」
 夜の公園に響く鈴の鳴るような声。
 小柄のフードは、軽やかに謳うようにセリフを奏でる。
「どうしたんだい、そんな怖い顔をして。もしかして私のことを忘れてしまったのかい?……酷い話だ。ぼくは君に会えることを半年間、ずっと楽しみにしていたのに」
 唇を尖らせて拗ねるような仕草。
 こっちの事情などお構いなし。マイペースなのは相変わらずか。
「でも、本当に会えるとは思わなかった。だって半年前のあの日、私はもう二度と君に出会うことができないと思ったから」
 いやいや俺も会えるとは思いませんでしたよ?しかも日本で。君、自宅の引きこもり主義じゃなかったっけ?
「昼間の出来事がなかったらもう君に出会うことはできなかった。久しぶりに君の生きいている姿を見た時、生の声を聞いた時、私は本当に嬉しかったんだ」
 口には笑みが、頬には涙が。半年間会えなかった昔馴染みとの再会に感謝する歓喜の涙。
 そこまで喜んでくれるのであれば、正直男として悪い気はしない。
「でも、少しばかり迂闊だったんじゃないかな、今回は。せっかく民間人になり済まして半年間潜伏してきたのに、あんな大立ち回りをしたものだから、結局我々に気付かれてしまった。無理せず素知らぬふりを通していれば今まで通りいられたであろうに、どうしてあんなことをしてしまったんだい?」
 クスクスクス、と口元に手を当てて笑うフードの御仁。
 ああ、わかっているさ。
 修学旅行三日目。俺たちA校生徒を襲ったあの事件。そこで俺はちょっとばかり無理をし過ぎた。普段の高みの見物スタイルを投げ捨て、前衛に立ち獅子奮迅の大活躍。
 それが自分にとって致命的なことだということは分かっていたが、どうしてもやらずにはいられなかったのだ。賭けてみたくなったのだ。
「しかし…………」
 と、フードの声が僅かに下がる。
「我々にとってはラッキーだったかな。そうだろう?だって我々にとっては無二のチャンス。本来なら不可能に近い君という人間の捜索を、こんなにもあっさりと見つけ出せてしまったんだから……」
 公園全体を包む先程の冷気。弛みつつあった空気が一瞬で凍結する。フードの下の微笑みが消え、代わりに浮かんだのは人形もかくやという無機質な表情。
「なあ?国際天使対策機関、天使攻略班AAAの元エース、アルセウス・GT・エクスカリバー」
「…………」
 アルセウス……。久しぶりに呼びかけられたその名を深く噛みしめる。
 かつてこの世界に背いた罪人の名前。以前俺が用いたもう一つの呼び名。
「半年前、機関を裏切った君がまさかこんな所で生き延びていたとはな。しかもただの学生として、何のバックもなく。正直我らがここに来ていたのは全く別の要件でね、こんな形で君を見つけたのは僥倖だったと言わざるをえない。しかし」
 フードの影に隠れた両目が俺を捉える。その瞳が、眼光が、何よりそのセリフの続きを語っている。
「見つけた以上は生かしておけない。君はここで、仕留めさせてもらう」
 周りの強面が銃を構える。ご丁寧にもサイレンサー付き。実に結構。万一「彼ら」が銃声を聞きつけた日には、どんな騒動に発展するのか想像もつかない。
「絶対に逃がさない。絶対に見逃さない。君は野放しにしておくにはあまりに危険すぎる存在。だから、ここで、確実に……」
 最後にもう一度視線が交わる。フードの下の唇が僅かに震えているのが見えた。
 それに気付いてしまったとき、僅かな未練が湧き上がる。
 しまった、早まったか。ちょっとばかり潔すぎたかもしれない。
 もしかして俺にはまだ、もう少しだけ……足掻けるチャンスが残って

「死んでもらう」

 それが合図だった。
 全ては手遅れ。
 黒服達の指は引き金を引き、銃口からは閃光とサイレンサー特有の爆発音。しかしそこから放たれた銃弾は確かに俺の胸を、脇腹を、喉を、撃ち抜いていき、もはや痛みを感じている余裕すらない。

 数秒後、銃声は止み、強面達は銃を下ろす。硝煙の向こうに立つのは全身を撃ち抜かれた血まみれの俺。
 薄れゆく意識、崩れる体。誰かの悲鳴が聞こえたのは気のせいか。
 なんてこった。結局また同じことの繰り返し。
 こういうことが嫌で、こういうことにならないようにと努力してきたはずなのに……
 
 でもまあ……いいか。
 以前に比べればいくらかマシだ。やれることは大体やった。
 クリスティア、そして蒼十郎。後はお前達に任せよう。
 基盤は整えてやった。仲間も揃えてやった。お前たちなら……何とか、できるよな?

 どこか心満たされて、しかしどこか心に空虚を抱えて、この俺アルセウス・GT・エクスカリバーの意識は閉じる。齢18年の我が人生。
 その最後で思ったのは……
 
 しっかし結局、俺の人生ってどうだったんだろうね?

 
 さて、残念ながら彼の物語はここで終わりだ。
 彼の人生はここで終わりであるが故、その先の物語はない。

 仕方がないので……ほんの少しばかり、彼の時を巻き戻してみることにしよう。