アカシャとアオイ





 少々時を遡る。
 
 それはロボットチェス開催一月前のことであった。
 
 人間領西地区、地下収容施設ヘレ。
 そこは人間族でも特別な事情を持つ囚人のみが収容される、特殊な監獄であった。
 内部にはいくつものトラップが張り巡らされており、どんな知能犯であっても脱獄は不可能。
 また厚さ2メートルの外壁は、機動兵器の重魔道兵器をもってしても破壊できない。

 そんな一度入れられたものは二度と太陽の光を拝むことができない、伝説の監獄から、
「やれやれ、せっかくの出所日なのに雨とはな」
 この日、一人の男が出所することになった。
 茶色いポンチョを着た、一見薄汚れた照る照る坊主のような、間抜けた外見の男であった。
「ま、悪党の俺をお天道様祝福するわけもないか」
 彼の名はアカシャ・ツヴァイカノーネ。
 五年前大陸を震撼させた、とある事件の首謀者の息子であった。
 直接事件に関わっていないにもかかわらず、犯人の身内というだけでこの監獄に入れられたのは彼が初めてである。
「しかし、生きてこの監獄から囚人がでるなんて、何十年ぶりのことなのかね。まさか……、俺が初めてなんてことはないよな?」
 と、隣に立つ看守に問うアカシャ。
 彼の言う通り、“生きて”この監獄から囚人が出るのは、極めて珍しいことであった。
 大半の囚人は監獄内で一生を終えるか、その前に死刑台に送られるからである。
「まさかとは思うけど、この先にあるのがガス室なんてオチはないよな?」
 何を問うてもにも、看守は無言のままだった。
 代わりに数秒程、壁際の電子パネルを操作した後、その下にあった赤いレバーを引く。
 すると数十秒後、ポーンという音とともに、彼らの前にあった隔壁がゆっくり開いていった。
「ん…………」
 それはこの監獄と外界を隔てる、最後の隔壁であった。
 およそ5年ぶりの外界。
 真っ先に彼の目に飛び込んできたのは、灰色の雨雲と、がらんとした石造りの広場。
 そして、
「お帰りなさい」
 藍色の傘をさして立っている、一人の少女であった。
「久しぶりだね……。アカシャくん」
 麗しい顔つきの、銀髪の少女であった。
「会いたかったよ。5年間ずっと……」
 その頬を一筋の涙が零れ落ち、彼女の黄色いスーツを濡らす。
「あんたは……」
 泣き顔にもかかわらず、少女は美しかった。
 彼女のこんな顔を見れば、多くの紳士はハンカチを差し出し、彼女に慰めの言葉をかけるだろう。
 しかし、
「……誰だっけ?」
 茶ポンチョの男は素っ気なくそう言った。
「ええっ……!? まさかボクをお忘れかい。君の大事な大事なパートナーである、このアオイちゃんのことを」
 愁いを帯びた表情から一転、目を丸くして少女。
「いや、覚えがないな。俺の知り合いに、あんたみたいく、あざといボクっ娘はいなかったはずだけど」
「いやいや、いたはずだよ。思い出してみるといい。君のそばには常に君のことを献身的に支えた、いたいけな少女がいたはずだ」
「いたっけ? そういえば、鼠みたいに周りをうろちょろしていた、目障りな女だったらいたような……。でも、あの女はあんたと違って、顔だけは可愛かったしなー」
「え―――っ!? これでも5年間、美貌には磨きをかけたつもりなんだけれど。……というか、5年前から君にはブスだの不細工だの散々な言われようだった気がします」
 肩を落として銀髪の少女。
 彼女の名はアオイ・フィーアシュベルト。
 人間族でも知る人ぞ知る有名騎士であった。
 そして目の前の黒髪の彼とは、ちょっとした関係にあったはずである。

「まったく。5年ぶりだというのにつれないね、アカシャくん。監獄暮らしでサディスト成分がアップしたんじゃないかい?僕としてはもう少し、ロマンチックな再会を期待していたんだけれどなあ……」
 肩をすくめて、アオイ。
「そういうあんたもパワーアップしているけどな。狡猾なところとか。わざわざ目薬を使ってまで、ロマンチックな再会を演出するあたり」
「げ……。ばればれかい?」
 目を丸くして少女。
 彼女の後ろ手には緑色の薬瓶が握られていた。
「つーか、いまさらだろ。大体モニター越しに毎日顔を合わせてんのに。感動も何もあるか」
「いやいや。モニター越しに会うのと、実際に会うのは違うよ。情緒がないし。ぶっちゃけ……、アダルティな触れ合いとかもできないじゃない?」
「昼間から酔っぱらってんのか、あんたは。あんたのそういう不埒な冗談は嫌いだって、何度も言っているよな?」
「君が嫌いだっていうなら、ぼくは変わるよ? でもそれで前、清楚な女の子にクラスチェンジしたら、君、本気で吐いたよね?」
「ああ。あれは酷かったからな……。あれに関しては全面的に、俺が悪かったと思っている」
「真顔で謝罪されると傷つくんだけれどね。せっかく君とおそろいでメガネまでかけたのに。ついでにセーラー服まで来たのに」
 とほほと涙を流しながらアオイ。
 二度目の目薬を差したことは言うまでもない。
「阿呆なことをやってないでさっさと行くぞ。ていうか迎えはお前だけか? てっきり騎士団の護送車で連れて行かれるものと思ったんだがな」
「ああ、そこはぼくが手を回したんだよ。上司を脅して、もとい交渉して。今日一日は二人きりになれるようにってね」
「職権乱用とか最低だな、あんた」
 ジト目でアカシャ。
 これで規則規律には厳しい男であった。
「というわけで今日一日はデートと洒落込めるよ。実を言うと黄華ホテルのスイートルームも予約してまして……」
「車がないなら鉄道か。5年で路線が変わってなきゃいいんだがなー」
 そういって、さっさと歩き出すアカシャ。
「シカト!? ていうか本当に行くの? 再会のお祝いは? せめてレストランで食事とか」
「そんな暇あるわけないだろ。まだフレームすら完成してない機体がいくつも残ってんだ。これから一月、寝る間もなく作業だよ」
 気が付けば仕事の顔になっているアカシャ。
 こうなるともう、彼がどんな誘惑に駆られることはないことを、少女は知っていた。
「やれやれ。せっかく監獄から出てこれたのに、今度は格納庫に引き籠るつもりかい。相変わらずの仕事人間だこと」
 これもまたいつものこと。
 苦笑しながらアカシャの後を追うアオイ。
 もとよりその気になれば監獄から出てこれたアカシャ。
 それに興味を示さなかったのも、ほかならぬ彼であった。
「でもよかった。君が、変わってなくて……。君と生きて再会できて本当によかった」
 三度目の涙がアオイの頬をつたう。
 それが目薬なのか、本物の涙なのか。
 知るのは本人のみであった。


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